
中山道にある木曽路には、北は贄川宿から始まる11の宿場がある。
木曽路の起点となる所には、「是より南 木曽路」と書かれた石碑が立ち、2本の枝垂れ桜が見頃を迎えていた。
贄川(にえかわ)宿

宿場の北には復元された関所があり、その横をのんびりと2両の電車が走っていた。

深澤家住宅
国の重要文化財。行商を中心とする商家で、幕末には苗字を許されるまでに。中山道側に主屋、背後に中庭をはさんで北蔵と南蔵が並ぶ。主屋は嘉永4年(1851年)の大火で、嘉永7年に竣工。北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)に建築。

町には、水が引かれていて誰でも使えるようになっている。
木曽平沢

贄川宿と奈良井宿との間に位置する木曽平沢は、漆工の町として有名で、漆器店が軒を並べていて良い雰囲気。国の重要伝統的建物群保存地区。
奈良井宿

木祖村
中山道の西側に位置する木祖村には、古木の桜が点在しているので寄ってみた。

田ノ上観音堂 の枝垂れ桜は、未だ満開には至っていなかったが、推定樹齢700年。茅葺の観音堂は木曽谷唯一のもの。




中央アルプスを望める。


薬師堂

鳥達が飛び交っていた。



ホオジロ


奥木曽湖
この界隈からの眺めも素晴らしい。

藪原宿

分水嶺である鳥居峠をひかえ、飛騨街道の追分としてにぎわった宿場だったが、火災に遭う。お六櫛の里でもあり、櫛製造販売のお店がある。
宮ノ越宿

民家の田中家

宮ノ越の旅籠だったが、明治16年(1883年)の火事で母屋は焼失。火事の際に運び出した建具をもとに再建したもの。入口の彫刻は、大工棟梁が施主(建築主)へのご祝儀とする習わしによるものなのだそう。

木祖大工の故郷で、家の二階の出梁造りを支える「持ち送り」と言われる彫刻を施した家が未だ残っている。

この井戸は江戸末期(1866年頃)に掘られ(深さ8メートル)、石積みは当時のまま。明治13年(1880年)に、明治天皇が旧本陣で休まれた際に、この井戸水で入れたお茶を飲まれたことから、「明治天皇お膳水」と呼ばれている。
福島宿から以南は、その2で。
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