半田で行われる春祭りは、10の地区により、3月~5月に渡って行われる。
昨秋には、5年に一度、その全地区の31基の山車が勢ぞろいしたのだが、あいにくそのお祭りの時には旅行に行ってしまっていたので観られず。ということで、今回、各地区の中で唯一海に山車曳きをする 潮干祭 を観に行くことにした。


海に山車を曳き下す前に、棒締めと言われる楫棒と台輪とをつなぐ七五山縄(しめなわ)を締め直す。

祭神の神武天皇東征の折りに、海からこの地に上陸し、里人が小舟に桟橋を架けて出迎えたことから、この地を「神嵜」とし、現在の「亀崎」の地名の由来と考えられている。その伝説に因み、5輌の山車を潮干に浜へ曳き下したことから「潮干祭」と名付けられた。国の重要無形民俗文化財。

曳き下し坂をいっきに駆け下りた山車は、波打ち際で方向を変えて、縦列に並ぶ。


特に最後の花王車は勢いが付き過ぎて山車が大きく前後に揺れて、思わず声があがっていたり、加勢の衆がやって来たりと迫力だった。

砂浜を曳く時には、小さな男の子達も参加。砂浜にめり込んでいる山車を動かすのは大変そうだった。

因みに、海にはクラゲがいたり、浜には小魚が悠々と泳いでいるなど、とても綺麗な海だった。



浜から上がり、祭り広場に5基が整列するのだが、後ろ向きで隣の山車との距離をぎりぎりに整列させていき、綺麗に並ぶと拍手がその度に起こっていた。(普通の車のバックも縦列駐車も苦手な私には考えられない。。。)

ここの山車は、胴山と上山の二層になっており、下の壇箱と呼ばれる壇に柱を立て唐破風の屋根がつく。「知多型山車」 の特徴なのだそう。低い位置にある前棚人形と、上山人形の両方のからくりの2種類が楽しめる。
宮本車
元治2年(1865年)建造。潮干祭の山車の元祖でもある。前棚人形 「三番叟」3人の子供が隠れ使いで演じる。


釜で沸かしたお湯を振りかけて厄を祓う神事。お湯の代わりに、紙ふぶきが舞う。湯取り神事と言えば、名古屋市東区の筒井町の湯取車があったなぁと。その様子は こちら
青龍車
明治24年(1891年)建造。

四本の柱は七宝となっていてひときわ綺麗。前棚人形 「布ざらし」両腕を上下に振って布をさらすのだが、日本で現存する唯一の布ざらし人形。

力神車(りきじんしゃ)
文政9年(1826年)建造。現在の5輌の山車の中では最も建造が古く、知多型山車の元祖なのだそう。
前棚人形 「猩々(面かぶり)」途中で猩々の面を被る。


浦島太郎のからくり人形。最初に海の中を示す背景やお魚達が出て来た時は笑ってしまった。

神楽車
天保8年(1837年)建造。

前棚人形 「巫女の舞」



上山人形 「傀儡師(船弁慶)」
「船弁慶」の人形芝居を演じてみせる人形舞まわしの大道芸人のからくり。江戸時代の竹田近江というからくり師による竹田からくりの唯一の残存例なのだそう。このからくりは凝っていて、3場からなるので、風景なども張り替えられる。最後に、いたちの人形が発射?されるのが面白い。
(スマホで撮ったこの動画は映りが悪い・・・)
花王車
弘化3年(1846年)建造。

前棚人形 「神官」
御幣を振ってお祓いをする神官の人形。驚いたことに、翌日には前棚人形も変わり、「石橋」とう獅子のからくりに変わるのだそう。

桜の枝を綾渡りする唐子人形2体の離れからくり。


山車が出払った山車蔵では、誰でもセルフで飲める樽酒が置かれているなど、お祭りムード。
海中に山車が入る海中渡御のお祭りは、以前に 蒲郡の三谷(みや)祭 で観たが、その時は、山車ごとぷかぷか海に浮かせて、引手の人達も肩辺りまで海に入るのに対し(その様子は こちら)、この潮干祭ではそこまで海には入らないが、砂浜や芝生を曳くのは大変そうだった。
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