白峰(しらみね)温泉の宿をチェックアウトして、大嵐山で水芭蕉などを楽しんだ後(その様子は その1 で)、白峰の街を散策。白川郷などと同様、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。


冬には積雪が4メートルにも及ぶ豪雪地帯なのだが、縄文時代中期(約4500年前)にはすでに人が住んでおり、養老元年(717年)には村が開かれた場所。白山山頂の権利を、越前、加賀、美濃の村で争いが絶えないことから寛文8年(1668年)に幕府直轄地である天領とした。


黄土色の土壁に縦長の窓が多く、2~3階の窓は、半間から1間の間隔で立つ柱の為に窓が縦長になっている。玄関の2階から薪などの出しいれをする大背戸と言われるものがある。

行勧寺庫裏
唯一の小羽(こば)葺き屋根で、栗板が使われており、梅雨前に表面を拭いて天日で乾かして表裏をひっくり返す「くれ返し」が、画像では撮りそびれたが、ちょうど行われていた。冬の積雪時でも太鼓の音が聞こえるようにと屋根に太鼓堂がある。

林西寺
文久3年(1863年)に、永平寺宮大工により建てられたお寺。
境内はかつて、葬儀の場で「じゃあど(浄土)」と呼ばれ、盆踊りや物々交換の場所にもなっていた。

ここにも大梯子が。

国の重要文化財である十一面観世音菩薩(左から4番目)は、白山連峰山頂の御前峰(2702メートル)に安置されていたもの。文政7年(1824年)に鋳造された207キロある仏像で、白山山頂に運ぶ為にパーツに分けられている。
この仏像のほか、それぞれが大汝峰の頂上であったり、別山山頂であったりと、各地に安置されていたのだが、明治元年に神仏分離令が公布され、山頂の仏像は全て撤去されるにあたり、当時の林西寺の住職が集めたものなのだとか。

本堂は写真撮影可能。ご住職が、色々と説明して下さった。
さすが、永平寺の宮大工さん達によって建てられたお寺だけあって、龍の欄間がとても立体的で素晴らしい。

白峰の町を後にし、手取川沿いを上流まで進んで行く。

河原にいきなりある巨岩。百万貫の岩と言われている。
途中で、白山の山頂が望める。

左の大きな山が大汝峰、右のとがったのが剣ヶ峰、その右の部分が一番高い御前峰(2702メートル)


根倉谷水芭蕉園地
白山の山麓には平地が少なく、1940年代以前は山奥で焼畑耕作を行い、そのそばに出作り小屋と呼ばれる住居を構えて暮らしており、この根倉谷でも、湿地を利用して田んぼを耕していたのだとか。そのわずかな平野部分に、現在は水芭蕉が一面に咲いていた。

この水芭蕉園は、白山をバックに眺めることが出来る


白山から帰途につくにあたり、越前大野を経由することにした。途中では、残雪と桜のコラボも楽しめた。

越前大野では、シバザクラが綺麗だった。その様子は追って。
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