湖西で花菖蒲やルピナスを見た後(その様子は こちら)、マキノのメタセコイア並木に立ち寄り、海津の町を散策することにした。
 
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このメタセコイア並木には、足元に雪が積もった1月(その様子は こちら)、晩秋で紅葉が綺麗な12月(その様子は こちら)に来ているので、今回は新緑のメタセコイアを。
 
この日は、海津にある鮒寿司で有名な 「魚治」 の料亭である 「湖里庵」 にて昼食。その様子は追って。
昼食後、海津 を散策。
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海津のある高島市マキノ町は、大化の改新の頃から、奈良・平安時代にかけて鞆結(ともゆい)駅なるものがあったという歴史ある所。義経記、平家物語、源平盛衰記などにも海津が登場し、秀吉も海津を訪れている。
江戸時代に入ると、軍事、交通、経済上などの重要性から幕府直轄地である天領とし、藩米など北国からの多くの荷物が大量に通過し、蔵や旅館、商店が立ち並んでいた。明治時代以降、琵琶湖上を走る蒸気船による湖上交通へと変わる。
 
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海津浜の石積が有名。元禄16年(1703年)、代官として赴任した西与一左衛門は、風波のたびに宅地が被害を受けていることから、湖岸浪除石垣を東浜668メートル(367間半)、西浜495メートル(272間)に築いた。
 
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西与一左衛門の碑もある。
 
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明治10年からやっておられる吉田酒造。数量限定の純米吟醸生があったので購入。1575円。未だ飲んでいないのだが、楽しみ♪
 
全国で5番目の重要文化的景観に選定された「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」。昔ながらの生活習慣、湖岸の石積み、共同井戸、知内側周辺の伝統漁法などの水文化が残っている。
 
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「湖里庵」のおかみさんに教えてもらったお話。
  • 鮎を専門に獲る「すくい」というおいさげ漁が行われている。
  • 鮎を生きたまま捕まえる為に、湖岸を歩いてカラスの羽根で追って、タモで受けるという昔ながらの漁法もあり、この時期に行われるとのこと。
  • 天然の鰻も獲れる。1メートルぐらいの竹の筒をしかけてタモで獲っているとか。
  • 湖上交通が発達した頃、北前船の荷物を敦賀から荷揚げし、海津まで運んでまるこ船で京阪神の方へ運んだ。津=港という意味で、海津は日本海に一番近い港と言う意味で、海津と名付けられた。大津は大きな港、滋賀県中のものが集積したことから。塩津は若狭の塩を京阪神に運んだということから。
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湖上交通が行われていた時の発着桟橋の杭跡が残っている。今は、亀がその上で甲羅干しをしていた。
 
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私が未だ幼稚園にも行かない頃に、ここの浜に遊びに来て足をつけると、うわ~と鮎が足に寄ってきてビックリした覚えがあるのだが、今現在も浅瀬でも物凄い数の鮎が泳いでいる。画像ではわかりにくいが、黒いものは全部鮎。
 
これだけ鮎がいっぱいだと、鳥達も天国かも。
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カンムリカイツブリ
琵琶湖では2007年の調査では、冬鳥のカンムリカイツブリが琵琶湖で越冬する個体が1176羽いるとのこと。どうやらその1羽か。しかし、寿命が良くわからない。。。
 
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正面から見ると、襟巻と耳をつけているみたい。
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アオサギや鵜も悠々と。
 
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海津漁港では、釣り人達に、琵琶湖の固有種ではない外来種のブルーギルとブラックバスのリリースはせずに、回収いけすに放つようにと、専用のいけすがあった。 
 
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湖畔ではハマヒルガオも咲いていた。 
 
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ベニバナスイカズラ 
 
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湖の一番北を巡る奥琵琶湖パークウェイからの眺め。標高1377メートルの伊吹山がはるか彼方にそびえ、その麓には長浜が広がる。