初代の魚屋治右衛門が、天明4年(1784年)に海津で鮒寿司屋、料理旅館を創業。鮒寿司を中心とした琵琶湖産の魚介類の佃煮なども売っているお店。
遠藤周作が 「湖里庵」 と名付けた料理店を道の向かい側で営んでおられ、そこに行って非常に美味しかったので(その様子は こちら)、帰りにお店にも寄って、鮒寿司などを購入することにした。

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鮒寿司には、飯漬けと飯漬けをさらに酒粕に付けた甘露漬けとがある。甘露漬けの方がどちらかと言うと食べやすいが、飯漬けの方を購入。(記憶が曖昧だが、3000円ちょっとだったか。)
やはり、とっても美味しい。料理店で出してもらって美味しかったので、頭の部分を炙ってお茶漬けに。それも美味。

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ここ何年かはなかなか琵琶湖で獲れなかったイサザが今年はたくさん獲れたとのことで、イサザのしぐれ煮を。
イサザとは、スズキ目ハゼ科の魚で、標準和名はシロウオ。一年魚で、体長は約4センチ、半透明で
黒い斑点が透けて見える魚。

幼い頃からここの鮒寿司の甘露漬けを食べていたので、懐かしいお味。いずれも美味しく、機会があったら、また買いに行きたいなと。
以下は鮒寿司について HP より抜粋

鮒寿し(ふなずし)の歴史
鮒寿しは、タイの北部から中国雲南省にかけての地域に起源をもつ「熟れ寿司(なれずし)」の一種。今から約千四、五百年前、大陸から日本に 水田稲作農業が伝わったのと同じルートで伝わったといわれる。平安時代に編纂された古代法典『延喜式』に鮎寿司などと並んで記述が見られることからも、 その長い歴史がわかる。
寿司のルーツこそが熟れ寿司。現代のにぎりの寿司は酢で酸味をつけているのに対し、熟れ寿司は発祥の頃より乳酸菌の発酵によってごはんに酸味を付けている。

恵まれた自然環境から生まれた鮒寿し
鮒寿しはもともと中国奥地で鯉を使ってつくられた寿司が始まりで、製法が近江に渡来してから鮒が使われるようになったといわれる。その素材に最も適してい るのは琵琶湖の固有種であるニゴロブナ。昔は今の田圃のように整備された田圃ではなく、梅雨時などの大雨では田圃も川も一面になり、そこに遡上した鮒が田圃の中で産卵し、水田がニゴロブナの産卵場所になっていた。地域によってはニゴロブナのことをイヲといい、ニゴロブナが産卵のために遡上してくるさまを、水面が山のように盛り上がって見えたことから「イオ島」とか「魚島」とか呼んだものだった。このように一時期にたくさんとれる鮒の保存方法のひとつとして、鮒寿しの製法が定着していったと思われる。しかしそんなニゴロブナも昭和60年頃から漁獲量が年々減少し、 今では稀少な魚となってしまった。

鮒寿しは、近江のハレのご馳走
今でこそ高価な食べ物になってしまったが、鮒寿しはハレの場には欠かすことのできない食べ物だった。昔は近江の多くの家庭で漬けられ、お正月に樽を開けてお客さまのおもてなしをしたことからハレの日の筆頭となった。結婚式や法事、お祭りなどに出され、現在も祭典の神饌物としてお供えされているところがあり、地域に根ざした伝統食で、いわば近江のソウルフード。


滋賀県高島市マキノ町海津2304
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www.uoji.co.jp/uoji/U1.htm