津島で行われる尾張津島祭が面白いと教えてもらったので、宵祭に行ってみることにした。

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この祭りの起源ははっきり伝わっていない。南北朝時代、津島に逃れてきた南朝の良王親王を守るため、津島武士(四家七党)が北朝の武士を船遊びに誘って討ち果たしたことに由来するとも、津島神社の古い神事が元になっているともいわれる。大永2年(1522年)には津島三車の大山・車楽があったことが判っている。

尾張津島天王祭の主会場の天王川は、昔、流れていた木曽川分流の天王川の一部が堰き止められたもの。天王川は、伊勢への交通路であり、陸路で桑名に行くにしても水路で行くにしても津島が要所となっていて、人が往来。その渡し場として津島湊が平安時代末期に大変賑わっていた。
そのように古代から発展し津島に財力があったことや、自然の川がめぐる地形が自然の要塞になることから、織田信長の父が津島を平定し築城した。

このお祭りは津島神社の祭礼だが、大阪の天満天神祭、厳島神社の管絃祭と並び日本の三大川祭の1つに数えられ、織田信長や豊臣秀吉などの名将にも愛されたといわれる。

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ちょうど、お稚児さんが担がれて行くところに遭遇。お母様が団扇で煽ぎながら行列が進んでいく。
津島祭では、朝祭に登場する市江車のお稚児さんも入れて、合計6人のお稚児さんが活躍する。
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かつて川港があった車河戸(こうど)で、5艘のまきわら船による車楽(だんじり)が待機している。
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提灯が点灯されるまでの間、アトラクションとして、手筒花火、打ち上げ花火、火縄銃などの実演も行われる。

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祭の意味は、暑気払いと厄払いからと言われている。宵祭が始まるこの日の朝、神様に神輿に移ってもらって御旅所まで移動する神輿渡御が行われ、宵祭は前夜祭として、明るく照らし神様をそこに導くという意味もあるのだそう。

てっぺんにまっすぐ立てる提灯がまず運び込まれる。

車河戸(こうど)の倉庫には、翌朝の朝祭で使われる能人形が安置されていた。
下車
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堤下車
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筏車(左)と米車(右)。今車の能人形は見当たらなかった。

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徐々に提灯が付けられて行く中、大きなものではないが、花火も挙がっていた。

暗くなって来た中で、手渡しされる提灯の灯りだけが動いている。


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ひとつひとつの提灯に火が入れられ、付けられていく。

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長い柄の提灯の手渡しがうまくいかずに、水に落としてしまったり、提灯が燃えてしまうアクシデントもあるが、今はチャッカマンがあるので、昔に比べたらずいぶん楽になったとご高齢の方がおっしゃっていた。

旧津島五ヶ村の堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)、今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)から5艘のまきわら船による車楽(だんじり)。
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池の上と、少し離れた南の2カ所から花火が打ちあがる中、5艘のまきわら船が御旅所をめざして、漕ぎ進んでいく。

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船の順番は、宵祭りの2日前に、御旅所前で古式にのっとって籤引きで各車に割り当てられる船分けが行われている。

お稚児さんは提灯がついて出発する間際に船から降り、宵祭で乗船しているのは、刀をかけたくるまやさん、乗り方衆、囃子方など。

お囃子の音などと共に、ゆっくりゆっくり進んでいく。



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縦に付く提灯の数は、12か月の意味から12個。他の提灯の数は365日から365個がつくと言われているが、実際には400~420個をつけないと綺麗なお椀型にならないのだそう。前面には赤い提灯がつくが、1か月30日とうことで30個が付けられている。

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天王川公園にあるまきわら船のモニュメントの横を通っていく。
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安藤広重 『六十余州名所図会』の津島天王祭にも描かれている。 昔からの様式をそのまま踏襲していることが良くわかる。

5艘が丸池の北にある御旅所に到着し挨拶して終わり、再び車河戸に戻って、朝までにボウズ(まきわら)をはずして、能人形(シテとワキ)の準備をするのだそう。丸池に5艘そろったところで、また大きな花火でも挙がるのかなぁと待っていたのだが、周りの観客は徐々に減っていく。???と思って、そこで集まっていたお巡りさんに聞いてみたところ、「まぁ、これで終わりですね。」と。未だまきわら船は御旅所に到着する前から、三々五々に皆、観客は解散していたもよう。宵祭と朝祭では、宵祭の方が多くの観光客がやってきて、2日間で20万人とも言われているが、正直言ってそれほどの人数ではない印象。見るのにひしめき合ったり場所取り合戦になることもなく、何だかとてもゆるいお祭りで良かった。だったら、翌朝の朝祭も見ようかと。その様子は追って。