尾張津島祭の 宵祭(その様子は こちら) を楽しんだ翌日は、朝祭 が行われるので行ってみた。

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前夜は提灯を飾った5艘のまきわら船が車河戸(こうど)から御旅所を往復したが、朝祭には佐屋町市江の市江車が加わる。前には、鉾布が10本立ててある。

津島と市江は、明治32年の佐屋川廃川以前には佐屋川・天王川によって結ばれていた。市江車は、津島5車よりやや大きく、大屋台の屋根は唐破風となっており、他車には許されない形となっているのだそう。

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各船に担がれて来たお稚児さんが乗り込む。

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津島神社の神官が各車楽船に挨拶をした後、市江車を迎える。

津島の5艘に市江車が先頭に加わり、6艘の車楽船が能の出し物をかたどった置物を飾り楽を奏でながら漕ぎ進む。江戸時代には、市江車は百石船で舵があり、津島5車も50~60石の船を使用していたと伝えられており、明治5年(1872年)までは津島5ヶ町から大山と呼ばれる山車(船)も登場していた。
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先を行き、横で控えていた小船では、水をかき出していた。だ、だ、大丈夫?

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市江車には、鉾持ち衆の10人の未婚の成年男子がふんどし姿で、鉾布を持っている。

そしていよいよクライマックス。

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池の水をかけてもらい、鉾布を持って池に跳び込むと、そこから御旅所まで泳ぐ。泳ぐことで身体を浄めるという意味なのだそう。
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とびこむ時には、大声を発していて、周りからは拍手。



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御旅所は右奥の赤い鳥居のある所。結構距離がある。

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御旅所到着後、そのまま走って神社まで行く。稚児が通る前の厄払いの意味があるのだそう。
スイムとラン、これに自転車が加わればまるでトライアスロン祭。。。



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市江車を先頭に全ての車楽船が御旅所に到着し、稚児は御旅所へあがる。挨拶の後、御旅所から神様が神社にお帰りになるので、6人の稚児と共に津島神社へ。

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市江車

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米車

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下車

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筏車

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下車

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堤下車

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津島神社は、津島牛頭天王社とも呼ばれ、全国3000以上ある津島神社、天王社の総本社となっており、「お伊勢参らば津島へ参れ 津島参らば片参り」 と言われているぐらい。織田家の氏神で、秀吉は楼門を寄進している。3番目の鉾が太鼓橋(結界)の綱を切ることが出来、神様の領域と町の領域がつながる。

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現在の本殿は清須城主だった松平忠吉(家康四男)の寄進で,楼門とともに桃山様式を今に伝える建物として、重要文化財指定を受けている。

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市江車からお稚児さん達関係者が本殿に入って神前奏楽が奉納され、おみきを頂く。

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5車で同様に、神前奏楽が行われる。太鼓などは全部小学生ぐらいの男の子達。

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本殿でお参り。神官からおみきがさずけられていた。


お稚児さんもそのお母様達も相当暑いだろうが、良く頑張っておられた。

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最後は、またお稚児さん達は担がれて神社を後にしていた。

宵祭も、朝祭も、いずれも色々な見どころが多く、楽しめた。
前夜の宵祭も、この朝祭も、アメリカ人の取材班が何名か来ていたので、今後は国際的なお祭りとなるかも?