開田高原 や 御嶽山方面に避暑に行くことにした。
中津川から木曽路を北上して開田高原に向かうにあたり、以前に中山道の宿場巡りはしたので(その様子は こちら や こちら や こちら)、今までいつでも行けると思って寄っていなかった所へ今回は足を運ぶことに。
寝覚の床
木曽川の激流が、花崗岩の岩盤を侵食して出来たもので、国の史跡名勝天然記念物。
浦島太郎伝説の舞台となったのだそう。
龍宮城から戻った浦島太郎が、諸国を旅して廻り、途中で立ち寄った寝覚の里の美しさに惹かれて住むようになり、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けてみたところ、中から出て来た煙と共に太郎は300歳の老人になったと言う言い伝えがあり、岩の上の松の間には、「浦島堂」の祠がある。
私はてっきり、浦島太郎は龍宮城から戻って来て速攻、浜で玉手箱を開けたものと思っていたのだが。。。




近隣も緑にあふれている。


黒川郷の道祖神

黒川地区は、木曽の中でも道祖神が多く、地区内に18カ所、19体もの道祖神がある。双体道祖神が11体、文字だけの道祖神が8体あり、そのほとんどが江戸時代後半に作られたもので、古いものは享和2年(1802年)。
製作時期は1846年~約40年間に集中しているが、その理由は不明。
道祖神はサエノカミとも呼ばれ、幸の神としての縁結び、五穀豊穣、繭の多収、疫病や悪人の侵入をふせぎ止める神様、旅人の安全神など。

そばにあるお墓には屋根はつけられていないが、道祖神には石の屋根がつけられている。



男女握手像は古く、文字だけの道祖神は後に作られたものが多いのだそう。
黒川の道祖神に多い男女握手像は、男女円満を示し、境界をかため外部からの邪神をしりごみさせる意味があるとも言われている。

道祖神のある場所では、毎年どんど焼きが行われるのだそう。
道祖神は、安曇野で観たが(その様子は こちら)、こちらの方が素朴で古い印象だった。
この後は、開田高原で、一度やってみたかった蕎麦うちなどを体験しに。その様子は追って。
中津川から木曽路を北上して開田高原に向かうにあたり、以前に中山道の宿場巡りはしたので(その様子は こちら や こちら や こちら)、今までいつでも行けると思って寄っていなかった所へ今回は足を運ぶことに。
寝覚の床
木曽川の激流が、花崗岩の岩盤を侵食して出来たもので、国の史跡名勝天然記念物。

ゆったり流れる水面には、周囲の木々が映り込んでいた。
浦島太郎伝説の舞台となったのだそう。
龍宮城から戻った浦島太郎が、諸国を旅して廻り、途中で立ち寄った寝覚の里の美しさに惹かれて住むようになり、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けてみたところ、中から出て来た煙と共に太郎は300歳の老人になったと言う言い伝えがあり、岩の上の松の間には、「浦島堂」の祠がある。
私はてっきり、浦島太郎は龍宮城から戻って来て速攻、浜で玉手箱を開けたものと思っていたのだが。。。

右側が、浦島太郎が玉手箱を開けたと言われている床岩。左は屏風岩。


未だアジサイなども咲いていた。

近隣も緑にあふれている。


葛の花も良い香りを漂わせていた。
黒川郷の道祖神

黒川地区は、木曽の中でも道祖神が多く、地区内に18カ所、19体もの道祖神がある。双体道祖神が11体、文字だけの道祖神が8体あり、そのほとんどが江戸時代後半に作られたもので、古いものは享和2年(1802年)。
製作時期は1846年~約40年間に集中しているが、その理由は不明。
道祖神はサエノカミとも呼ばれ、幸の神としての縁結び、五穀豊穣、繭の多収、疫病や悪人の侵入をふせぎ止める神様、旅人の安全神など。

そばにあるお墓には屋根はつけられていないが、道祖神には石の屋根がつけられている。



男女握手像は古く、文字だけの道祖神は後に作られたものが多いのだそう。
黒川の道祖神に多い男女握手像は、男女円満を示し、境界をかため外部からの邪神をしりごみさせる意味があるとも言われている。

道祖神のある場所では、毎年どんど焼きが行われるのだそう。
道祖神は、安曇野で観たが(その様子は こちら)、こちらの方が素朴で古い印象だった。
この後は、開田高原で、一度やってみたかった蕎麦うちなどを体験しに。その様子は追って。
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