赤坂界隈をウロウロしていると、御神輿があちこちに。
赤坂氷川神社のお祭りだった。赤坂と言えば、日枝神社かと思っていたのだが、氷川神社とのこと。

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赤坂サカス横にあったお神輿たち

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太鼓なども。

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一ツ木通りにも。

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赤坂見附の駅の横にも。

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政治家の黒塗りの車が横付けする有名な料亭界隈にも飾りが。

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おまけ画像。赤坂プリンスは今はもうすっかりクレーンだらけの工事現場。旧館(旧李王家邸)だけが残っていた。

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氷川神社に行ってみた。

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創立は天暦5年(951年)、現在の一ツ木通り赤坂不動尊辺りにあり、徳川8代将軍吉宗が将軍職を継ぐ際、享保15年(1730年)に現在地に。現在の社殿は、震災や戦災に耐え、当時のままの姿を残している。
尚、現在地は、元禄の頃には、忠臣蔵の浅野内匠頭夫人である瑤泉院の実家屋敷だったのだそう。

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氷川祭は、もともと神社の宮神輿を氏子町の山車13台が警固する形で巡行。江戸時代には、からくりを持つ江戸型山車の巡行が盛んだったが、大正期頃から震災や戦災で都心の山車は壊滅。赤坂氷川神社の山車は昔の部位が奇跡的に残存。NPO法人が保存会を設立し、平成19年に約100年ぶりに復活。
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頼朝
嘉永2年(1849年)に作られた人形は、高欄と共に、当時53両2分で製作された。白拍子用の立烏帽子、狩衣に指貫を着けていて、鎌倉幕府を開いた後の姿を描いたものと思われている。平成20年に土台車輪部が製作され、平成21年に山車巡行が実現した。

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恵比寿
人形は昭和初年作と言われており、舟形は今年修復製作された。

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すぐ隣はアメリカ大使館の職員宿舎になっているので、関係者と思われる家族連れも夜店を楽しんでいた。

あいにく翌日の15日(日)は、台風18号の襲来で、氷川神社からTBSや赤坂サカス、赤坂見附などの巡行は行われなかったが、少しでも雰囲気を味わえて面白かった。