友人案内の3日目。再び、京都を。この日は外回りを攻略することに。

金閣寺
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4年前、3年前と、それぞれ友人を案内して来ているが、この日は一番お天気が良く、金閣寺の舎利殿が綺麗に映り込んで見えた。応永4年(1397年)、足利三代将軍義満が西園寺家の別荘を譲り受けたもの。
一層目は寝殿造、二層目は武家造、三層目は中国風の禅宗仏殿造で、3つの様式を一同に合わせたもの。

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この時は平成19年に修復工事を終えた方丈が特別拝観として公開中だったので併せて見学。延宝6年(1678年)後水尾天皇によって再建された。歴代の金閣舎利殿の上の鳳凰を間近に見られる。初代、3代の鳳凰があり、2代目は金閣焼失と共になくなったとのこと。新しく新調した杉戸絵なども細かく解説して下さった。

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縁側に面した部分に3部屋、その裏側に3部屋があり、縁側の真ん中のお部屋は仏間として仏様が祀ってあり、その真裏側の部屋は何かあった時に仏像を持って逃げられるようご住職の部屋だったのだそう。

手前の白砂を川に見立て、徐々に大河となって船で船出をして、金閣舎利殿のある大海へと漕ぎ出し、極楽浄土するという世界観が表されているのだそう。

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方丈の中庭にある陸舟の松
これはもともと、足利義満が盆栽として育てていた松を植えたらこんなに大きくなったとされ樹齢は約600年。

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鬼瓦も「あ・うん」となっている。

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桃は魔除けの意味から。そう言えば、国宝犬山城にも桃瓦があった。その様子はこちら

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夕佳亭 後水尾天王がお茶を飲まれたというお茶室。床柱は「南天の床柱」とのこと。

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少しずつ、紅葉が始まっていた。

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竜安寺石庭
前回、友人を案内した時は、屋根の大改修をしていてお庭をゆっくり堪能できなかったので、今回はゆっくりと。
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宝徳2年(1450年)に細川勝元が大徳寺家の別荘を譲り受けたもの。枯山水庭園は、東西25メートル、南北10メートルに白砂を敷き詰め、虎の子渡しと称されている。

全部で15個あるはずの岩がなかなか見えない。一番右手前の岩の右奥にもうひとつ隠れているというのがポイントで、一か所からは全部見られる。
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方丈広間

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鏡容池

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あまりにも有名な「吾唯足知」のつくばいデンマーク人の友人夫婦に説明するのは難しかった。。。

三十三間堂
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長寛2年(1164年)、平清盛が造進。80年後に焼失したが、文永3年(1266年)に再建され、室町、桃山、江戸、昭和にそれぞれ大修理を行いつつ700年以上保存され続けている。
お堂は総檜造りで約120メートル。正面の柱間が33あることから三十三間堂と通称されている。

堂内は撮影禁止の為、画像はHPより。
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中央の仏像と左右500体の合計1001体の仏像があり、そのうち124体は創建時の平安時代のもの、残るものは鎌倉期に約16年かけて復興された。

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1001体の前にある風神雷神の2体の像や、28体の観音28部衆像がある。

伏見稲荷
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全国に3万社あると言われるお稲荷さんの総本宮。奈良時代の和銅4年(711年)から。

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有名な千本鳥居へ。

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最初、通行止めでここに近づけず。
???と思っていると、なんとなんと、ボリウッドの映画撮影中で、インド人のお姉さんが曲と共に鳥居の前で踊っていた!!!お稲荷さんもグローバルになったものだ。

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この日の観光はこれで終了。翌日も京都市内中心をうろうろと。その様子は追って。