一関に泊まり、まず猊鼻渓(げいびけい)の舟下りに行くことに。

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猊鼻渓



















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石灰岩層が砂鉄川に浸蝕されて造られた猊鼻渓は、日本百景のひとつとのこと。
紅葉は終わりかけの朝いちばんは、摂氏ゼロ度ぐらいととても寒かったが、川霧がたっていて、幻想的だった。
川はとても穏やかで、船頭さんは竿一本で操作されている。

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毘沙門窟 
洞窟内に毘沙門天が祀ってあるが、
コウモリが多数住んでいるのだそう。

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鮭が遡上して産卵しに来るそうで、もう身体はボロボロ。瀕死の状態で浮いているように泳いでいた。





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獅子ヶ鼻
猊鼻渓の名前もこの岩から。




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大猊鼻岩
この大岸壁の下の方に小さな穴が開いていて、反対岸から運玉と呼ばれる素焼きの玉を投げ、見事穴の中にはいると願い事が叶うと云われている。挑戦してみたが、全然ダメだった。。。
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帰りは、船頭さんが、「げいび追分」という歌を歌って下さった。




幽玄洞

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昭和55年に発見された鍾乳洞。3億5千万年前の鍾乳洞は日本最古。かつては水深50メートル前後の海底で、その後、地殻変動で傾いた様子などもわかる。

炭酸カルシウムが垂れさがった形で増えてゆくと「つらら石」となり、その中心に水の通る穴が開いたままのものを「ストロー 鍾乳管」。ストローは1年間に0.2ミリ~1ミリ程度成長する。下に落ちた雫で竹の子のように伸びたものが「石筍」。上から垂れたつらら石と下にたまった石筍がつながって出来たものは「石柱」。

フローストン(流れ石)
洞穴の壁や床を薄く膜状に流れる水によって造られた鍾乳石のこと。
6ミリメートルの厚さになるのに100年ほどかかり、それに石灰がついて何万年もかかってこの形状を造っている。白いのは、不純物が少ない為とのこと。

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浄魂の泉
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ウミユリの萼の化石
3億5千万年前頃の海底に棲んでいた動物。長い柄(茎)で海底につかまり、その上にある本体から何本もの触手を広げて餌をとっていた。本体を包む萼の部分の化石が岩盤上で発見されたものとしては日本では最初とのこと。ヒトデの仲間だが、百合の蕾に似ていることからウミユリと言われる。このウミユリは1メートル程度だが、大きいものになると20メートルにもいたる。
黒いネジのような化石がウミユリの柄(茎)。




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辺りはイチョウが落葉していて黄色の絨毯が敷かれていた。


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柿もたわわに実っていた。











宮沢賢治記念館

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「よだかの星」をテーマにした彫刻。


中には、彼に因んだ色々なものが展示されている。彼が学校の教師だったことは知っていたが、その前は人造宝石業をしようとしていたとは知らなかった。さまざまな科学的なことにも造詣が深く、絵画を描き、チェロを弾くマルチタレントぶりは、まるでダヴィンチのような人だなと。



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彼のイーハトヴ(イーハトーブ)の風景は
こんなだったのだろうかと晩秋の景色を眺めていた。







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注文の多い料理店「山猫軒」もあったので、立ち寄った。











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無事、食べられることもなく、注文の多い料理店を脱出。





花巻市博物館 では、「藤城清治」展をしていた。その様子は別記事で。