平泉の世界遺産である、毛越寺、観自在王院跡 を観た後、中尊寺 へ。

天台宗東北大本山。嘉祥3年(850年)に、慈覚大師円仁によって開山。12世紀初め奥州藤原氏初代清衡が合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するために大伽藍を造営。14世紀に堂塔の多くは焼失したが、金色堂はじめ、3000もの国宝や重要文化財が残っている。

金色堂(内部撮影不可の為、画像はHPから)  中尊寺と言えば、やはりこの金色堂。
イメージ 1

イメージ 2
天地元年(1124年)の造立。現存する唯一の創建遺構。
御本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音、勢至菩薩、さらに6体の地蔵菩薩と持国天、増長天が本尊を取り巻いている。堂全体を金箔で覆い、皆金色(かいこんじき)の極楽浄土を現生に表している。
内陣は、螺鈿細工や蒔絵などの漆工芸や彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰。
中央の須弥壇の内に、初代藤原秀衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が収められている。

イメージ 3









イメージ 6





金色堂は、昭和になって造られた右の覆堂の中にある。










イメージ 4





弁慶堂
文政9年(1826年)の再建。
本尊陸軍地蔵菩薩と義経、
弁慶の木像を安置している。
(お堂によって違うのだが、
この内部は撮影禁止)






イメージ 5


薬師堂
もとは別の場所だったが、明暦3年(1657年)に現在地に建立された。慈覚大師作と言われる薬師如来が安置され、脇には日光・月光菩薩。薬師如来の化身とも言われる十二神将が併置されている。




イメージ 9








経蔵











イメージ 7



創建時の古材を用いて再建されたもの。
平安時代の彩色文様が未だ残っている。
前のイロハモミジは未だ完全に真っ赤に
なっていなかったが、この経蔵前の
イロハモミジが境内一とのこと。







イメージ 8


旧覆堂
正応元年(1288年)に、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ、覆堂が建てられたと考えられて来たが、近年の調査で、金色堂建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったものとみなされている。
昭和38年(1963年)に新覆堂が建築されてから、この旧覆堂は移築された。


イメージ 10





白山神社能舞台
火災で焼失した為、現在の能舞台は
嘉永6年(1853年)伊達藩主から
再建奉納されたもの。






境内全体、あちこちが紅葉の見頃となっている。

イメージ 14





















イメージ 11

弁財天堂
本尊は宝永2年(1705年)に仙台藩主正室の寄進。堂は、正徳6年(1716年)に建立。弁財天は、水と豊かな実りをつかさどるインドのサラスヴァティー河の女神で、仏教と共に日本に伝来。池や河川とともに祀られている。




イメージ 12



















イメージ 13


















イメージ 15


本堂

明治42年(1909年)の再建。



イメージ 16







イメージ 17







お焼香が出来るようになっていた。


本尊は今年造顕されたもの。




イメージ 18




武蔵坊弁慶の
お墓の碑

文治5年(1189年)、弁慶は、主君である義経を守り、衣川で立往生した。遺骸を葬って五輪塔を立て、石碑が建てられたとのこと。





イメージ 19

無量光院跡
世界遺産。三代藤原秀衡が建立。昭和27年(1952年)の発掘で、宇治の平等院鳳凰堂をモデルとしたことが確認された。春や秋のお彼岸の頃に正面に立つと西方にある金鶏山の真上に日が沈むようになっており、極楽浄土として、阿弥陀如来が浮かび上がるように考えられていたのだとか。




イメージ 20





金鶏山
多分、この山だろうなと。
(違ったらスミマセン)
頂上には経塚がある。
これも世界遺産!





イメージ 21
藤原清衡が中尊寺を建立した時、奥州の入り口にあたる福島の白河関から、津軽半島の外ヶ浜までの道路に沿って、一町(約109メートル)ごとに金色の傘卒塔婆を立て、その中心にあたる中尊寺には、100体の釈迦如来像を安置する釈迦堂や、本尊の像が約9メートルの像や、金色の九体仏を安置する二階大堂などが、金色堂以外にもあったのだそう。もし、全部残っていたら、さぞや凄いものだっただろうなと。


イメージ 22














以前に中尊寺に来た時は、春だったので、今回は紅葉が楽しめてとても良かった。
夕焼けを東北新幹線の車窓から楽しみながら、東海道新幹線と乗り継いで、最後まで友人達と話に花をさかせながらの帰宅となった。