ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。享年95歳。

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未だ亡くなるより以前ですら、高級住宅街の近くにある白人が多いモールに、マンデラさんを描いた絵が一番手前に置かれているぐらいだったので、人気があるんだなぁと思って見ていたのだが、訃報があってからというもの、いかに彼がこの国に残した業績が大きく、彼が愛されていたかを実感することとなった。

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亡くなった翌日からは南アのテレビ局ではひたすら彼のことを特集。白人も黒人キャスターも黒い衣装で鎮痛な面持ち。

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大統領になられた頃からしか知らなかったので、好々爺なイメージだったが、若かりし頃のお顔はずいぶん違ったんだなぁと。

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驚いたのは、彼の死を悼んだ人達が、彼の家の前などで、輪になって手をつないで歌って踊っている姿。日本人には考えられない様子だが、聞けば、普通の一般の人が亡くなっても、南アでは同様に悼むのだそう。所変わればを実感。悼むと言うよりも、送り出すと言った印象で、残された人達の精神衛生上にも、泣くばかりではなく、良いのではないかと感じた。

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テレビでは、マンデラ氏の愛称である 「MADIBA」 やお父さんを意味する 「TATA」 と呼んでいて、それだけでもいかに皆に愛されていたかがわかる。

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何処も半旗

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ホテルも。

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高速道路の中央分離帯でも。

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彼を悼む追悼集会の案内も。

ヨハネスブルグ近郊のサントンには、マンデラスクウェアという場所があるのだが、そこには数えきれない献花がされていた。
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街を走る車も。

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スーパーマーケットでも。

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12月5日に亡くなったが、12月16日に国葬が行われるにあたり、15日はほとんどのお店がお休み。

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16日は朝から国葬の様子が放送されていた。


オバマ氏が初めてアメリカ大統領に選ばれた時にNYに居て歓喜に沸くアメリカの様子を感じたが(その様子はこちら)、シチュエーションは異なるが、今回もその国の歴史的な日にそこに居られて貴重な体験となった。