その名の通り数多くの丘がある1000ヒルズを通って、ピーターマリッツバーグという街にドライブに行くことに。

ズールー族の伝統的な家屋が並ぶのどかな村なども超えて。



エンビコウ
Woolly-necked Stork
Ciconia episcopus

1838年にナタール共和国が建国された時の首都、
ピーターマリッツバーグ に到着。
もともとはズールー族が住んでいた土地だったが、アンドリース・プレトリウスに率いられたボーア人 (=アフリカーナー、オランダ系等移民) が 「ブラッドリバーの戦い」 でズールー族に勝ち、ナタール共和国を建国。
5年後には、イギリス軍の手に堕ちたが、今もビクトリア様式やエドワード様式と言われる建物が残っている。
(ビクトリア様式は19世紀にイギリスのビクトリア女王統治時代の建築様式で華麗で装飾に凝った内装で重厚なのに対し、エドワード様式は20世紀初頭のエドワード7世時代の建築様式で、ビクトリア様式の過激な装飾に対し生まれた。)



マハトマ・ガンジーの像
彼がこんなに南アに深い関係があったとは知らなかった。
イギリス領インド帝国で生まれ、ロンドンで法律を学び、24歳の時にイギリス領南アフリカ連邦(現、南ア)で弁護士となった。
白人優位の人種差別政策下で、1等席の切符を買って列車で移動していたガンディーは、ピーターマリッツバーグの駅で、席のない白人男性へ席を譲った上で有色人種用の3等席へ行くよう車掌に命じられたのを断ったため、ピーターマリッツバーグで、荷物もろとも放り出されるなどの強烈な人種差別を体験したことで、イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになった。その後、インドに戻ったガンジーは、人生で最も影響を受けた出来事としてこの事件のことを挙げたのだとか。
因みに、インドからの移住者の子孫が現在南アには約100万人おり、世界のインド系移住者では最大で、移住者のほとんどが、砂糖園や石炭鉱山の労働者だった。我々の住むクワズール・ナタール州やその周辺で生活している。


写真を撮る時のピースサインは、日本独特と
アメリカ人やヨーロッパ人の友人達に良く
揶揄されたものだが、携帯片手にピースサインは
南アでも!!
(※ この裏ピースサインは、こちらでは中指を一本立てるのと同じ意味がある)

街自身はそれほど大きくはないが活気があり、元気の良い女の子達のはじけんばかりの笑顔が良かった。

ズールー族の伝統的な家屋が並ぶのどかな村なども超えて。

はるか彼方の丘は、ケープタウンのテーブルマウンテンっぽかったり、グランドキャニオンっぽかったり。


エンビコウ
Woolly-necked Stork
Ciconia episcopus

1838年にナタール共和国が建国された時の首都、
ピーターマリッツバーグ に到着。
もともとはズールー族が住んでいた土地だったが、アンドリース・プレトリウスに率いられたボーア人 (=アフリカーナー、オランダ系等移民) が 「ブラッドリバーの戦い」 でズールー族に勝ち、ナタール共和国を建国。
5年後には、イギリス軍の手に堕ちたが、今もビクトリア様式やエドワード様式と言われる建物が残っている。
(ビクトリア様式は19世紀にイギリスのビクトリア女王統治時代の建築様式で華麗で装飾に凝った内装で重厚なのに対し、エドワード様式は20世紀初頭のエドワード7世時代の建築様式で、ビクトリア様式の過激な装飾に対し生まれた。)
シティ・ホール
時計台の高さは47メートル。
煉瓦造りの建築物としては、南半球で最大。
時計台の高さは47メートル。
煉瓦造りの建築物としては、南半球で最大。



マハトマ・ガンジーの像
彼がこんなに南アに深い関係があったとは知らなかった。
イギリス領インド帝国で生まれ、ロンドンで法律を学び、24歳の時にイギリス領南アフリカ連邦(現、南ア)で弁護士となった。
白人優位の人種差別政策下で、1等席の切符を買って列車で移動していたガンディーは、ピーターマリッツバーグの駅で、席のない白人男性へ席を譲った上で有色人種用の3等席へ行くよう車掌に命じられたのを断ったため、ピーターマリッツバーグで、荷物もろとも放り出されるなどの強烈な人種差別を体験したことで、イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになった。その後、インドに戻ったガンジーは、人生で最も影響を受けた出来事としてこの事件のことを挙げたのだとか。
因みに、インドからの移住者の子孫が現在南アには約100万人おり、世界のインド系移住者では最大で、移住者のほとんどが、砂糖園や石炭鉱山の労働者だった。我々の住むクワズール・ナタール州やその周辺で生活している。


写真を撮る時のピースサインは、日本独特と
アメリカ人やヨーロッパ人の友人達に良く
揶揄されたものだが、携帯片手にピースサインは
南アでも!!
(※ この裏ピースサインは、こちらでは中指を一本立てるのと同じ意味がある)

街自身はそれほど大きくはないが活気があり、元気の良い女の子達のはじけんばかりの笑顔が良かった。
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