
日本人としてはシャカと聞くと、お釈迦様を連想するが、こちらでシャカというと、ズールー族の王様の名前。
ダーバン国際空港の名前も、King Shaka International Airport。
1984~85年に放映されたテレビドラマの「シャカ・ズールー」の撮影セットとして造られた村を、現在、テーマパークと宿泊施設としているので、そこでのランチ付の見学ツアーに参加した。

まず最初にダンスを見せてもらった。
なかなか激しいダンスで、男女ともに足を高くあげる。
最後の方には男性も汗だく。


女性の方がより柔軟。

周囲を囲った中にさらに囲いがあり、その中央には、牛などの家畜、周囲に人間の居住スペース。
正面一番奥が家長の家で、2人が寝られれば十分という小さなスペース。夫人は2人までOKなので、第一夫人が向かって右側、第二夫人が左側となる。
一番入口近くには、男子が寝泊まりし、全体を守る役目。
中央の家畜エリアの中には、秘密の貯蔵場所があり、磨いた石を上に乗せて場所の目印とするが、家族にしかその場所はわからない。チキンを入れておいて、肉がダメになっていたら他の食べ物もダメになっていると考える冷蔵庫にもなる。
家畜エリアの中の左側の小さなエリアは、他の家畜に傷つけられないようにと囲った若い家畜などを入れておく場所。中央にあるポールは、乳搾りをする際に牛を縛る為。
居住の左側に高床になっているのは穀物の貯蔵場所。動物などの攻撃から守る為に高床とのことだが、だったら人間も高床に住むべきでは?と思ってみたり。
旗は未婚の女性がいるかどうかを表しているとか?

積まれている小石は、願い事を願って投げ、上に乗れば叶うとか。

女性は

シャカ王が、今までは投げていた槍の柄を短くして、より戦闘能力の高い武器を作り、圧倒的に勝って行ったのだとか。


家の入口は実に小さく、リスペクトも含めて頭を垂れて入ると同時に、敵などは頭を下げて無防備に入らざるを得ないからと。
日本のお城と同じ発想。

トウモロコシと稗?粟?のようなものの2種類を入れて発酵させてビールを作る。細い布袋に入れて濾す。


ビール作りで残った物は、鶏の餌になる。
鶏は酔っぱらうかも???
台湾料理で美味しい酔鶏にならないかなぁと
思ってみたり。

我々も飲ませてもらったが、我々がビールと思っている
飲み物とはまたベツモノで、ちょっと酸味のあるもの。
まずは男性から回し飲み。そして女性という順番。
アルコール度数は2パーセントぐらいとのことで、
子供達もトライしていた。
飲み物とはまたベツモノで、ちょっと酸味のあるもの。
まずは男性から回し飲み。そして女性という順番。
アルコール度数は2パーセントぐらいとのことで、
子供達もトライしていた。

頭にビールの甕を乗せて運ぶのだが、解説してくれていた細くて若い女性は頭の上に輪っかを乗せてから甕を乗せていたが、右の女性は全くそのような補助の物は乗せずに上手にバランスを取っていた。恐るべし。
ビールが振動でこぼれないように、ひょうたん型や甕の入り口が小さくなっている。

サンゴーマと言われる霊媒師の家では、不思議な女性(サンゴーマ)がいたり、漢方薬を挽いていたり。
入口には、草木や角のようなものが天井につけられており、雷避けなのだとか。


既婚女性は赤い帽子。
昔は、おばちゃんが前に持っているような毛皮のベストのようなものだけをまとっていたとか。
そして昔は赤い帽子ではなく、結婚すると赤い色を髪に編み込んで取れないようにしていたが、昨今は離婚も考えられるので、赤い帽子に変えたのだそう。その為の枕は、まるで江戸時代の枕のよう。


独身女性は短いスカートにビーズといういでたち。
文字のなかった時代は、手にしたビーズが
ラブレターだったのだとか。
緑、赤、青にそれぞれ意味がある。
文字のなかった時代は、手にしたビーズが
ラブレターだったのだとか。
緑、赤、青にそれぞれ意味がある。
男性は未婚・既婚によって衣装の違いはない。
首長は頭に大きな羽根をつける。
ここに来る途中の村で赤い帽子を被った女性や、頭飾りをつけた男性を見かけたのだが、おそらく、結婚式か何かに出る人かも、とのこと。都市部の人ほど民族衣装はつけない傾向にあると。

ランチは、ビュッフェスタイル。

とうもろこしの粉を煉ったものが主食(左上の白いもの)。
南アではパップ、ボツワナではパパ、ジンバブエではサザ、ザンビアではシマ、ナミビアではウホベ、ケニア・タンザニアではウガリと言われている。
それに煮込みのものなどを。

この日のお肉は牛肉で、結構美味しかった。
白いスープは白いトウモロコシのスープ。



デザートもそれなりに。


シャカランドからの眺め


帰り道にも、今、現在のズールー族の丸い形の家々が続く。
この辺りは一面にサトウキビ畑。我々が住むあたりも、もともとはサトウキビ畑だったのだが、そこを大々的にリゾート地として開発した。
我々の住むあたりの黒人はそのほとんどがズールー族と言われているので、彼らの少しでも文化や風習がわかって良かった。
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