ミッドランドミアンダーMidland Meander にドライブに行った。
ダーバンから車で1時間半ほど内陸に入った高原地帯で、ピーターマリッツバーグ(その様子は こちら)からモーイ川までの80キロに渡る地域をさし、大規模農場が続く。1985年から、多くの陶芸家や機織り家が共同で始めた美術品・民芸品ルートでもあり、店舗やホテルやレストランが点在している。
ホーウイックの滝 Howick Falls

落差94メートル(もしくは95メートル)の滝。華厳の滝は、落差97メートルなので、ほぼ同じ規模。
因みに、南アで1番落差のある滝は947メートルの Tugela Fallsで、世界で2番目。世界一はヴェネズエラのエンジェルフォール Angel Falls の972メートル。
狭い道が付いていて、滝の下まで行けるのだそうだが、登りは非常に厳しく2時間以上もかかるとのこと。ズールー族は、この滝のことを、kwaNogqa (=Place of the Tall One) と呼び、ズールー族の伝説によれば、滝壺の奥にある洞窟には、inkanyamba と言う巨大なヘビがいるとのこと。実際に、その滝壺から、18世紀に、古い荷車が落ちているのが発見されている。


世界各国の滝の方向が示されていて、嬉しいことに、那智の滝も紹介されていた。ここから13294キロも離れていると。カナダのナイアガラが遠いかと思いきや13688キロ、ハワイが遠くて18948キロ。
カークルーフの滝 Karkloof Falls

南アの滝の wikipedia によれば、ホーウイックの滝は95メートル、この滝は98メートル。
カークルーフ Karkloof とは、荷車の渓谷 Ravine of the Cart と言う意味で、1845年に過積載の荷車がひっくり返り、長い間放置され、それが目印となった為に名づけられた。
この場所は、個人の土地でもあるとのこと。
ホーウイックの滝界隈にはボランティアガイドさんもおられ、お土産物屋やレストランもあるのに対し、この滝も負けず劣らずとても立派なのだが、商業施設はなく、観光客は我々以外に後2組のみだった。
滝が流れ込んだ Mngeni 川は、Midmar に注いで行く。


シュバシコウ White stork, Ciconia ciconia 雄大な牧草地に悠々といた。
とても青々として広大な景色はまるでヨーロッパを思わせるが、実は、ここはヨーロッパから移民としてやって来たオランダ人(Boer)とイギリス人(Anglo)との戦場ともなった所。
Anglo Boer War Memorials
ボーア戦争(Boer War、Anglo Boer War)は、イギリスとオランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争った二次にわたる戦争で、南アフリカ戦争、ブール戦争ともいう。第一次は1880~1881年、第二次は1899~1902年。



戦場にある碑なので、両者の兵士の名前が刻まれているのかと思いきや、、、上は、ホーウイックで埋葬されたイギリス軍兵士の名前が刻まれた碑。下は、1899~1902年にホーウイックのイギリス軍の強制収容所で亡くなったボーア人の大人と、15歳未満の子供達の名前が刻まれた碑。英国軍は約12万人のボーア人を強制収容所に入れ、焦土作戦を敢行し、収容所では約2万人が死亡したのだそう。1902年5月にボーア人は降伏。全く因果関係など知らなかったのだが、このボーア戦争に大量の人員や物資を割かざるを得なかったイギリスは、満州に影響力を強めるロシア帝国に対抗するために、日英同盟を締結して1904年に始まった日露戦争を後押しすることになったのだそう。
この後もミッドランドミアンダーを散策。ネルソン・マンデラ氏が捕まり、それから長い投獄生活が始まった地として今は博物館が建っている Nelson Mandela Capture Site や、チーズ農場、19世紀末からある Michaelhouse という良家の男の子が通う全寮制の寄宿学校などへ足を伸ばした。その様子は その2 で。
ダーバンから車で1時間半ほど内陸に入った高原地帯で、ピーターマリッツバーグ(その様子は こちら)からモーイ川までの80キロに渡る地域をさし、大規模農場が続く。1985年から、多くの陶芸家や機織り家が共同で始めた美術品・民芸品ルートでもあり、店舗やホテルやレストランが点在している。
ホーウイックの滝 Howick Falls

落差94メートル(もしくは95メートル)の滝。華厳の滝は、落差97メートルなので、ほぼ同じ規模。
因みに、南アで1番落差のある滝は947メートルの Tugela Fallsで、世界で2番目。世界一はヴェネズエラのエンジェルフォール Angel Falls の972メートル。
狭い道が付いていて、滝の下まで行けるのだそうだが、登りは非常に厳しく2時間以上もかかるとのこと。ズールー族は、この滝のことを、kwaNogqa (=Place of the Tall One) と呼び、ズールー族の伝説によれば、滝壺の奥にある洞窟には、inkanyamba と言う巨大なヘビがいるとのこと。実際に、その滝壺から、18世紀に、古い荷車が落ちているのが発見されている。


良く良く見ると・・・滝の上では、洗濯をしている人が!!
滝が注ぐ川では、2メートルにもなるマダガスカルオオウナギが発見されたのだとか。

世界各国の滝の方向が示されていて、嬉しいことに、那智の滝も紹介されていた。ここから13294キロも離れていると。カナダのナイアガラが遠いかと思いきや13688キロ、ハワイが遠くて18948キロ。
カークルーフの滝 Karkloof Falls

南アの滝の wikipedia によれば、ホーウイックの滝は95メートル、この滝は98メートル。
カークルーフ Karkloof とは、荷車の渓谷 Ravine of the Cart と言う意味で、1845年に過積載の荷車がひっくり返り、長い間放置され、それが目印となった為に名づけられた。
この場所は、個人の土地でもあるとのこと。

滝が流れ込んだ Mngeni 川は、Midmar に注いで行く。


シュバシコウ White stork, Ciconia ciconia 雄大な牧草地に悠々といた。

とても青々として広大な景色はまるでヨーロッパを思わせるが、実は、ここはヨーロッパから移民としてやって来たオランダ人(Boer)とイギリス人(Anglo)との戦場ともなった所。
Anglo Boer War Memorials
ボーア戦争(Boer War、Anglo Boer War)は、イギリスとオランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争った二次にわたる戦争で、南アフリカ戦争、ブール戦争ともいう。第一次は1880~1881年、第二次は1899~1902年。



戦場にある碑なので、両者の兵士の名前が刻まれているのかと思いきや、、、上は、ホーウイックで埋葬されたイギリス軍兵士の名前が刻まれた碑。下は、1899~1902年にホーウイックのイギリス軍の強制収容所で亡くなったボーア人の大人と、15歳未満の子供達の名前が刻まれた碑。英国軍は約12万人のボーア人を強制収容所に入れ、焦土作戦を敢行し、収容所では約2万人が死亡したのだそう。1902年5月にボーア人は降伏。全く因果関係など知らなかったのだが、このボーア戦争に大量の人員や物資を割かざるを得なかったイギリスは、満州に影響力を強めるロシア帝国に対抗するために、日英同盟を締結して1904年に始まった日露戦争を後押しすることになったのだそう。
この後もミッドランドミアンダーを散策。ネルソン・マンデラ氏が捕まり、それから長い投獄生活が始まった地として今は博物館が建っている Nelson Mandela Capture Site や、チーズ農場、19世紀末からある Michaelhouse という良家の男の子が通う全寮制の寄宿学校などへ足を伸ばした。その様子は その2 で。
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