5月21日
大阪から東京に向かう途中に名古屋で途中下車し、名古屋の友人達とランチとディナーにそれぞれ付き合ってもらって、最終近くの新幹線で東京へ。イメージ 1
名古屋駅界隈
大名古屋ビルヂング跡は未だ工事の真っ最中だったが、名古屋城を遠目に確認して、何だかほっとしているのは、私もすっかり名古屋人?と思いつつ。。。 

5月22日
東京で。予定が変わり、少し時間が出来たので、未だ行ったことがない泉岳寺界隈を散策することにした。
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泉岳寺
慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られている。
wikipedia より抜粋)

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空襲で焼かれ、江戸時代のものは、この山門だけとのこと。

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吉良上野介の首をこの井戸で洗って主君の墓前に供えたという井戸。ほかにも、浅野内匠頭が切腹した
血染の石や、血染の梅などもある。

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赤穂浪士墓所
「四十七士」 と言われるが、討ち入り以前に自害した萱野三平を含めた48基がある。右奥の屋根のついた墓所が、大石内蔵助のお墓。

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浅野内匠頭のお墓
驚いたのは、若い男性がそれぞれの墓所にお線香をあげ、ひとりで熱心にお参りされていて、そういうおひとり様が何人も。歴史好きの若者なのだろうが、吉良家が治めていた吉良町に私は行っているだけに(その様子は こちら)、どうも赤穂浪士ばかりが映画やドラマになって取り上げられ美化されているような気がしないでもなく・・・

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東禅寺

慶長14年(1609年)、伊東祐慶が、現在の東京都港区赤坂に創建し、寛永13年(1636年)、現在地に移転。安政年間(1855 - 1860年)以降、西洋人用の宿舎に割り当てられ、安政6年(1859年)には日本初のイギリス公使館が当寺に置かれた。

文久元年(1861年)、攘夷派の常陸水戸藩浪士によってこのお寺が襲撃された第一次東禅寺事件や、翌年に再びイギリス人水兵2名が殺害された第二次東禅寺事件の舞台になった。

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立派な仁王さんが迎えてくれる。

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都会のど真ん中とは思えない参道はとても気持ちが良かった。

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幕末期のアメリカ、フランス、オランダなどの各国公使館に充てられたお寺が改変された中、このお寺だけは以前の姿を伝えているのだとか。

そして夜のとばりが降りるころの都内は・・・

5月23日
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金曜夜の渋谷のスクランブル大勢の人達で賑わっている。

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夜12時前でもこの人・人・人・・・

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ハチ公界隈も人・人・人・・・

今更ながら、日本は平和だなと感じた夜でもあった。
(大阪、名古屋、東京で友人達に連れて行ってもらった、色々なお店の食べ物記事は追ってアップします)