ンゴロンゴロ保護区内にあるマサイ族の村を訪問。

イメージ 5

まずは歌などで歓迎を示してくれる。




















そして敷地内に招き入れてくれ、今度はマサイジャンプなどを披露してくれた。
イメージ 4


イメージ 1

マサイ族では、より高く垂直跳びが出来る人ほど強い戦士として認められるとのこと。
確かに垂直跳びが凄い!

同じぐらいの背格好の白人の観光客が一緒に跳んでいたが、全然右の青い服の彼には及ばない。


イメージ 2















イメージ 3








女性も併せてジャンプしていた。
(ちなみにこの方、女性)




子供もその様子を見て、軽くジャンプ。






























タンザニアには127以上の民族が居るが、マサイ族は10番目ぐらいに多い。

イメージ 6





女性達の装飾品がとても
細かいビーズ細工で綺麗。







イメージ 8
他の部族では、年齢によって敬われることが多いが、マサイ族は男性には年齢による上下関係はない。ライオンを殺したら初めてマサイの戦士として認められ、髪を赤く染めてお祝いをする。現在でも、マサイ族にはライオンを狩ることが認められているが、老いて繁殖能力のないライオンなど、狩って良いライオンが規定されている。
戦士になると、家族から離れてまるで軍人のように別の場所で寝泊まりして、他の部族がやって来ないか歩哨の役割をする。
昔は、他の部族の若くて強い男性だけを殺し、女子供や高齢者は殺さず、他の部族の牛を盗むのがマサイ流。神様がマサイ族に牛も山羊も羊も与えたものと考えているから。
そこで、他部族の人にとっては、以前は、ライオンに出会うよりマサイ族に出会ってしまう方が怖いと言われていた。

イメージ 7







彼氏や彼女、などはない。
小学校を出たらすぐに結婚する人もいる。子供が出来たら、奥さんとなり、一夫多妻で奥さんは4人が普通。
女性の数が少ないので、子供の頃から婚約していて、適齢期になるまで10年ほど待つ男性も。
夫婦間に愛があるわけではなく、女性を誰かが面倒をみるという感覚。
中には、非常に裕福で、28人の奥さんに110人の子供を持っている人もいる。
男性はもっぱら家畜の世話のみで、女性は家の仕事をするが、家自身も自ら建てる。




男性は下着はつけず、3枚の布をまとっているだけ。赤・青が基本。女性は青・オレンジ・黄色が基本だが、最近は赤い布も増えて来た。赤はライオン避けの色とされている。子供の布はおさがりの古いもので、新しいものはない。
マサイの人は握手のように手を握ることはなく、さっと手を触れ合せるだけ。握ったら攻撃とみなし、もう片方の手で護身用のブッシュナイフを出してくるとか。
マサイ族以外の人とは結婚しない。もし多民族と結婚したら、早逝すると思っている。

イメージ 9





お邪魔した所は、総勢125名だが、ひとつのファミリー。
24の家がある。






イメージ 10
家の中を見学させてもらった。

イメージ 11






とても暗いが
目が慣れてくると
隙間からの光や
天窓からの光で
見えてきた。







イメージ 12


ひとつの家には、大人の寝床、子供の寝床、そして仔牛の場所がある。
電気、水はなく、水は20キロ離れたンゴロンゴロのクレーターから取って来る。
中央には囲炉裏があるが、隙間だらけで、冬はさぞや寒いかと。

イメージ 13













観光客に開放している集落なので、お土産物を
売っていたが、結構お高いもよう。。。
ヌーの尻尾のはたき?みたいなものは、首長が
手に持って顔の周りや肩のハエを払う道具。




彼は自分の持っていたブッシュナイフを
見せてくれた。両刃で結構切れそう・・・
イメージ 14

食事は、家畜の肉や血、そして乳のみ。濃厚や狩猟を軽蔑している遊牧民のため。

マサイ族は、800~900年前にスーダンからケニアに、そして300年前にケニアからタンザニアに南下し、200年前ごろからンゴロンゴロにもともと地銃していたバラバイグ族(Barabaig)を追い出して、住むようになった。
マサイ族とバラバイグ族とは、1985~1986年に大きな争いがあり、バラバイグ族は600名が殺され、政府によって仲裁された。
ケニアにいるマサイ族は、タンザニアのマサイ族よりもより近代的な生活をしており、戦ったりもしない。
1976年に、クレーター内に住んでいたマサイ族の村があったが、保護区とする為にそこから出て、またキャンプ場もクレーター内にあったが、動物の為にそこもやめることになった。





イメージ 15




保護区内に6万人のマサイ族が住んでおり、遊牧民なので、タンザニアとケニアを行き来しても構わない。





イメージ 16












よくよく聞いてみると、我々おガイドさんはマサイ族にクレーターから追い出されたバラバイグ族出身。ただ、彼の場合はバラバイグ族のお父さんの第4夫人の子供で、お母さんは別の部族出身だったので、このマサイ族の家に連れて行ってくれた時も、自分の出身はお母さんの部族だとマサイの人に言っていて、決してバラバイグ族だとは言っていないのだとか。もし言ったら、殺されると。。。

実際に、上記の1986年の部族間の争いの際には、彼は未だ若かったが、上空を何機もの警察のヘリコプターが飛んで行き、争いの後には何人もの男性が村には戻って来なかった(=殺されてしまった)と。。。

イメージ 17


サイソーという植物。
ロープにしたり、マサイ族がバスケットやカーペットに使う。クロサイやバブーンも水代わりにこれを噛む。





ニゴトロキ?だったかな。蜂蜜と水から作るお酒があるが、マサイ族は飲酒はせず、タバコを吸う。ドイツやイギリスの植民地だった時にタバコが広まり、粉末を鼻から吸う。

因みに、マサイ族とは関係ないが、違法な密造酒もある。砂糖と水から作る自家製のお酒で、非常にアルコール度数が高いので火もつく。貧しい人が飲むが、肝臓に良くない。1950~1954年に、イタリアマフィアが作り、ウガンダや他の国に売っていた。


ようやく、ンゴロンゴロのクレーターの外輪山に到着。クレーター内には塩湖もある。
火山の噴火により出来たカルデラなので、「クレーター」というのはおかしいのだが、通称クレーター。
イメージ 18


イメージ 19


イメージ 20

ンゴロンゴロのクレーターに降りる道沿いで、マサイ族の人達が腰をおろしているところに、クレーター内で水や草などを食べさせた牛達を連れ帰るマサイ族の人が上がってきた。
ホテルの部屋からは、その牛につけられたカウベルがコロンコロンと鳴るのが聞こえてきた。



ガイドブックなどを見ると、マサイの人達は牧畜により生計を立てており、家畜を襲って来るライオンなどの為に武器を持っているだけで決して好戦的ではない、と書かれていたが、あえてそう書くぐらいだからこそ、そしてガイドさんの話なども鑑みると、やはり戦士の民なのだと思われた。