ザンジバル島のストーンタウン観光の続き。

市営マーケット を見学。
1840年からやっている。


この日の午後、スパイス農場を見学に行く予定だが、そちらよりもここの方がずっとお値段が安いとガイドさんに教えてもらい、色々と購入。

牛よりも山羊の方が安価とのこと。
牛肉1キロで5米ドル、鶏で1羽3キロとして10米ドル。

豪快に牛の頭などもある。


とても新鮮なお魚が並ぶ。


ザンジバルの人口の約85%はイスラム教徒。
シーア派のモスクもあるが、スンニ派が大多数。


行った時は丁度ラマダンの時期だったのだが、礼拝の時間になると、街のあちこちにあるモスクからアザーンが流れ、皆が集って礼拝をしていた。
下駄箱付のモスクだったりそうでなかったりと、靴がモスクの入口に多数。

学校内では、女性の眼出しのみの格好はダメという看板は、スンニ派の学校。
眼だけ出すのはアラブの人のやり方で、顔を全部出すのはザンジバル風。
眼だけ出す姿にも、色々とTPOがあるとは知らなかった!

アンティークショップ
壁の奥にオバマさんの写真が飾って(売って?)いることから
別名オバマショップなのだとか。
アンティークと言うより、ガラクタ屋さん。。。


Emerson Spice Hotel 個人の住居だった。

中に入ると、吹き抜けになっていて、
一階中央には噴水が。

Tipu Tip House
大商人ハメド・B・ムハンマド・アルマジェビのかつての家。
19世紀に、ベルギーが植民地化していた東コンゴと交易し、
クローブ(ちょうじ)のプランテーションを行って
この家を建てた。1905年に亡くなる。


奴隷市場
東アフリカから送られた奴隷市場で最大規模を誇り、約330万人が売られて行った。一時は、ザンジバル島の人口の約6割が奴隷だったことも。

奴隷のオークションの前に、地下の部屋に押し込められる。
大きい方(画像右)に75名、小さい方に51名も収容されていた。40日ほどそこにずっと首輪などをつけられて押し込められるのだが、電気もなければ、トイレもなく、排泄物は足元の溝に。
そして、満潮になると、波がその排泄物を洗い流すしくみになっているのだが、非常に非衛生で、病気が蔓延。
オークションにかけられた後、アラブ諸国へ売られた。
もっと奴隷をつないでおく部屋はあったのだが、忘れたい過去ではあっても記憶に残しておく為にと、あえてこの2部屋だけを残し、他は壊したのだそう。
西アフリカから売られた奴隷は、北アメリカや中南米に行き、そこでは奴隷どおしが結婚したり、白人と交わるなどして、子孫を残して今に至るが、アラブ諸国に売られた奴隷は、あらかじめ去勢され、一切子孫も残せない、まるで家畜同様の扱いだった。。。 その為、東アフリカからアラブにダウ船で運ばれる奴隷の中には、船から海に身を投げて自殺する人も多かった。
アラブ諸国に黒人奴隷の末裔が全くいないので、奴隷が売買されていたとは全く想像していなかったのだが、ガイドさん曰く、北中米に売られた奴隷の方がずっと良い待遇だったんだよ、と。。。

1873年、奴隷売買は禁止される。
奴隷市場の跡地には、大聖堂が建てられた。

祭壇の前にある丸い跡は、木を立てていた場所。
その木に奴隷を縛り付け、オークションが行われた。
その場で奴隷を傷めつけ、悲鳴をあげないでガマンした奴隷には高値が付いて売られていったとか。

スコットランドの探検家、宣教師、医師のデイヴィッド・リヴィングストンの為の十字架。当時 「暗黒大陸」 と呼ばれていたアフリカ大陸を、ヨーロッパ人で初めて横断し、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放に向けて尽力した人物。残念ながら、奴隷制度廃止の年に心臓麻痺で亡くなった。

スウェーデンのアーティストによる奴隷の像。
当時、実際に使用されていた鎖や首輪が使われている。


バオバオウリー
実は、オレンジになると食べられる。

おじさん達がのんびりとコーヒーを飲みながら昼下がりを楽しんでいるように見えたが、あまりにも直接で写真には撮れなかった。。。
右端の白い服装のおじさんが画像よりも右にいっぱいおり、野党の政治家達で、これでもミーティング中とか。

右側が カラユキさんの館
日本から諸外国に売春の為に売られていった女性達がいた建物で、最盛期には十数名もおり、50年ほど前まではここで生活していたのだそう。
The Africa House Hotel ブリティッシュクラブだった所。


市営のマーケットのあった辺りは、かつて水が来てこの写真のようだったと、壁にかけてあった。

2階にバーがあり、ここでもサンセットを楽しめるとのこと。
この後、新市街で昼食、そしてスパイス農場を見学。その様子は<23>で。

市営マーケット を見学。
1840年からやっている。


この日の午後、スパイス農場を見学に行く予定だが、そちらよりもここの方がずっとお値段が安いとガイドさんに教えてもらい、色々と購入。

牛よりも山羊の方が安価とのこと。
牛肉1キロで5米ドル、鶏で1羽3キロとして10米ドル。

豪快に牛の頭などもある。


とても新鮮なお魚が並ぶ。

この時は行われていなかったが、この台の上で、
日に3回、魚のオークションがある。
日に3回、魚のオークションがある。


シーア派のモスクもあるが、スンニ派が大多数。


行った時は丁度ラマダンの時期だったのだが、礼拝の時間になると、街のあちこちにあるモスクからアザーンが流れ、皆が集って礼拝をしていた。
下駄箱付のモスクだったりそうでなかったりと、靴がモスクの入口に多数。

学校内では、女性の眼出しのみの格好はダメという看板は、スンニ派の学校。
眼だけ出すのはアラブの人のやり方で、顔を全部出すのはザンジバル風。
眼だけ出す姿にも、色々とTPOがあるとは知らなかった!


壁の奥にオバマさんの写真が飾って(売って?)いることから
別名オバマショップなのだとか。
アンティークと言うより、ガラクタ屋さん。。。

ザンジバルには、インド系の人も多い。
インド系の家には魔除けものもが。
インド系の家には魔除けものもが。

Emerson Spice Hotel 個人の住居だった。


一階中央には噴水が。

Tipu Tip House
大商人ハメド・B・ムハンマド・アルマジェビのかつての家。
19世紀に、ベルギーが植民地化していた東コンゴと交易し、
クローブ(ちょうじ)のプランテーションを行って
この家を建てた。1905年に亡くなる。

オレンジピールは乾かして香水にする。

奴隷市場
東アフリカから送られた奴隷市場で最大規模を誇り、約330万人が売られて行った。一時は、ザンジバル島の人口の約6割が奴隷だったことも。

奴隷のオークションの前に、地下の部屋に押し込められる。
大きい方(画像右)に75名、小さい方に51名も収容されていた。40日ほどそこにずっと首輪などをつけられて押し込められるのだが、電気もなければ、トイレもなく、排泄物は足元の溝に。
そして、満潮になると、波がその排泄物を洗い流すしくみになっているのだが、非常に非衛生で、病気が蔓延。
オークションにかけられた後、アラブ諸国へ売られた。
もっと奴隷をつないでおく部屋はあったのだが、忘れたい過去ではあっても記憶に残しておく為にと、あえてこの2部屋だけを残し、他は壊したのだそう。
西アフリカから売られた奴隷は、北アメリカや中南米に行き、そこでは奴隷どおしが結婚したり、白人と交わるなどして、子孫を残して今に至るが、アラブ諸国に売られた奴隷は、あらかじめ去勢され、一切子孫も残せない、まるで家畜同様の扱いだった。。。 その為、東アフリカからアラブにダウ船で運ばれる奴隷の中には、船から海に身を投げて自殺する人も多かった。
アラブ諸国に黒人奴隷の末裔が全くいないので、奴隷が売買されていたとは全く想像していなかったのだが、ガイドさん曰く、北中米に売られた奴隷の方がずっと良い待遇だったんだよ、と。。。

1873年、奴隷売買は禁止される。
奴隷市場の跡地には、大聖堂が建てられた。

祭壇の前にある丸い跡は、木を立てていた場所。
その木に奴隷を縛り付け、オークションが行われた。
その場で奴隷を傷めつけ、悲鳴をあげないでガマンした奴隷には高値が付いて売られていったとか。

スコットランドの探検家、宣教師、医師のデイヴィッド・リヴィングストンの為の十字架。当時 「暗黒大陸」 と呼ばれていたアフリカ大陸を、ヨーロッパ人で初めて横断し、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放に向けて尽力した人物。残念ながら、奴隷制度廃止の年に心臓麻痺で亡くなった。

スウェーデンのアーティストによる奴隷の像。
当時、実際に使用されていた鎖や首輪が使われている。

ライチ風の木はリップスティックツリー
赤色を使用する。
ラテン語だとアナトダエ、スワヒリ語だと
ジンギプーリと言う。
赤色を使用する。
ラテン語だとアナトダエ、スワヒリ語だと
ジンギプーリと言う。

バオバオウリー
実は、オレンジになると食べられる。

おじさん達がのんびりとコーヒーを飲みながら昼下がりを楽しんでいるように見えたが、あまりにも直接で写真には撮れなかった。。。
右端の白い服装のおじさんが画像よりも右にいっぱいおり、野党の政治家達で、これでもミーティング中とか。

右側が カラユキさんの館
日本から諸外国に売春の為に売られていった女性達がいた建物で、最盛期には十数名もおり、50年ほど前まではここで生活していたのだそう。
The Africa House Hotel ブリティッシュクラブだった所。


市営のマーケットのあった辺りは、かつて水が来てこの写真のようだったと、壁にかけてあった。
アラブ風なデコレーションだった。

2階にバーがあり、ここでもサンセットを楽しめるとのこと。
この後、新市街で昼食、そしてスパイス農場を見学。その様子は<23>で。
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