シャークスボードにサメの解体などを見に行ったのだが (その様子は その1 で)、そこには色々な物が展示してあり、南アの捕鯨の歴史も書かれていた。

先日、ちょうどクジラが漂着し、その様子をアップしたが (その様子は こちら)、その時に南ア人がクジラを食べるのか?というご質問を何人かの方からいただいたので、シャークスボードでの展示の受け売りや、ネットの記事からの受け売りとして。
20世紀前半、ダーバンではザトウクジラ、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラが獲れた。
人工的な代替物が出来るまで、1950年代には、油やさまざまな用途で多くのクジラの需要があった。

1907年に、Jacob Egeland と Johan Bryde というスカンジナビア人が南アに会社を造り、1908年から捕鯨を始め106頭のクジラを捕まえた。
最初はダーバン湾内で解体を行い、サウスピアでクジラの肉を求めてやって来る大型のサメが退治されていた。しかし湾内で解体を行うことは、湾内により多くのサメを引き入れることになる上、衛生的にも良くないということで、ダーバン港南の半島である Bluff の外洋で行われるようになった。1910年には233頭ものクジラを購入。
1912年には、6社もの捕鯨の会社が出来、地図の湾の入り口からクジラを入れて陸揚げし、クジラ運搬の為に線路等が整備された列車で Bluff の外洋側にクジラを運ぶようになった。
捕鯨のシーズンは、クジラがダーバンと南極などを回遊する3月~9月。
165ポンドもの銛で射止め、船に曳航されダーバン港に運ばれた。脂肪は油として、石鹸、マーガリン、クッキングオイルなどが作られた。マッコウクジラからは、機械油、ワックス、蝋燭、化粧品、プロテイン、動物の餌、食肉、スープのフレーバーなどに利用された。また、肉は特に日本市場で珍重されたとも書いてあった!
マッコウクジラの腸内に発生する結石で、香料の一種である龍涎香(りゅうぜんこう) あるいはアンバーグリス Ambergris は、最も高価な香料にもなった。

しかし、ダーバン港で海水浴を楽しむ人達にとっては、サメがかじったクジラの肉片が漂って来ることや、処理場からの強烈な匂いをクレームした為に、より奥の住人が少ないエリアに処理場は移転。
第一次世界大戦や第二次世界大戦で、捕鯨は一時期は低迷したが、再びもりかえし、1954年には空から飛行機でクジラを探すという方法まで。1963年には、11874頭を空から発見し、その半分が殺されたとのこと。
1974年には、中東の石油供出により、油の価格が変わったことや、特にアメリカからの反捕鯨の圧力もあり1975年には捕鯨は終焉を迎えた。
日本やノルウェイだけでなく、ヨーロッパやアメリカでもかつては捕鯨が行われていたが、南アでも捕鯨の歴史があったとは知らなかったので興味深かった。

先日、ちょうどクジラが漂着し、その様子をアップしたが (その様子は こちら)、その時に南ア人がクジラを食べるのか?というご質問を何人かの方からいただいたので、シャークスボードでの展示の受け売りや、ネットの記事からの受け売りとして。
20世紀前半、ダーバンではザトウクジラ、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラが獲れた。
人工的な代替物が出来るまで、1950年代には、油やさまざまな用途で多くのクジラの需要があった。

1907年に、Jacob Egeland と Johan Bryde というスカンジナビア人が南アに会社を造り、1908年から捕鯨を始め106頭のクジラを捕まえた。

1912年には、6社もの捕鯨の会社が出来、地図の湾の入り口からクジラを入れて陸揚げし、クジラ運搬の為に線路等が整備された列車で Bluff の外洋側にクジラを運ぶようになった。
捕鯨のシーズンは、クジラがダーバンと南極などを回遊する3月~9月。
165ポンドもの銛で射止め、船に曳航されダーバン港に運ばれた。脂肪は油として、石鹸、マーガリン、クッキングオイルなどが作られた。マッコウクジラからは、機械油、ワックス、蝋燭、化粧品、プロテイン、動物の餌、食肉、スープのフレーバーなどに利用された。また、肉は特に日本市場で珍重されたとも書いてあった!
マッコウクジラの腸内に発生する結石で、香料の一種である龍涎香(りゅうぜんこう) あるいはアンバーグリス Ambergris は、最も高価な香料にもなった。

しかし、ダーバン港で海水浴を楽しむ人達にとっては、サメがかじったクジラの肉片が漂って来ることや、処理場からの強烈な匂いをクレームした為に、より奥の住人が少ないエリアに処理場は移転。
第一次世界大戦や第二次世界大戦で、捕鯨は一時期は低迷したが、再びもりかえし、1954年には空から飛行機でクジラを探すという方法まで。1963年には、11874頭を空から発見し、その半分が殺されたとのこと。
1974年には、中東の石油供出により、油の価格が変わったことや、特にアメリカからの反捕鯨の圧力もあり1975年には捕鯨は終焉を迎えた。
日本やノルウェイだけでなく、ヨーロッパやアメリカでもかつては捕鯨が行われていたが、南アでも捕鯨の歴史があったとは知らなかったので興味深かった。
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