ハマナス3日目の朝。

朝食はさすがに豪華。




オムレツも美味しかった。
チェックアウト後、ウエストコーストを北上。

Stoney Point

のんびり日向ぼっこをしているのやら、


このペンギンは、胸の所に黒い筋が2本ある、非常に珍しいもの。羽にもタグが付けられていた。


こちらの方にも、ほんの少し未だ首の所に産毛が残っている。この色から最終的に大人の白&黒の色に変わっていく。


すぐそばに一般の住宅があるのは、ボルーダースビーチと同じ。
19世紀初頭には、南アに約400万羽のペンギンが居た。1910年には、ダッセン島 Dassen Island だけで145万羽もの大人のペンギンが生息していたが、1900年~1931年に45万個の卵が食用として収穫され、現在のアフリカのペンギンは18万羽よりも少ない状況となってしまった。産業革命前とでは、95%がいなくなったと言われている。
卵の食用の危機の後、最近は原油が新しい脅威となっている。
1994年に発生した原油流出により、1万羽は洗浄され生き残り、1000羽の雛も助けられたが、残る半分の1万羽は餌が獲れずに飢えから死んでしまった。
海鳥は原油漏れの被害を非常に受けるが、ペンギンは飛べない上、餌を求めて長い距離を泳ぐことが出来ないので、特にペンギンは弱い。
油が羽に付いてしまうと、独自の水をはじく成分が無くなり、身体が冷えて弱って餌が獲れなくなり、皮膚や目や内臓の病気を引き起こし、貧血や肺炎になる。この流出した原油は、2500万ランド(約2億5000万円)相当で、岩や砂から除去されるまでに半年かかった。
また、2000年、ペンギンの生息地であるダッセン島の沖で原油が流出したことから、38500羽のペンギン達が救出されることになり、オイルをかぶった19000羽は歯ブラシなどで身体についた原油を一羽一羽、洗い流してもらい、元気なペンギン達19500羽を避難させる為、トラックで、はるか800キロ離れたポートエリザベスまで運び、放たれた。ペンギンの場合、短い羽は他の海鳥達に比べて、洗浄はしやすい。
放たれたペンギン達は、再びダッセン島まで10~20日かけて泳ぎ帰って来る間に、流出した原油が処理されたのだとか。この時は、全体の9割が生き残ることが出来た。
しかし、2000年には20万羽いたが、2010年には55000羽に激減し、もしこのまま放置すれば、15年後にはケープペンギンは絶滅してしまうことが予想されるのだとか。

この界隈の庭先には、綺麗なピンクッションがあちこちに植えられていた。

ケープタウンまで北上する間も、白や黄色の花畑が続く。



ケープタウンの北30キロにある Koeberg Nuclear Power Station
南アで1つ、つまりアフリカ大陸で唯一の原発! 高速道路からこれぐらいの近さで見える。
この後、ウェストコーストナショナルパーク West Coast National Park へ。その様子は<9>で。

ハタオリドリが元気にさえずっている声で起こされた。
ケープハタオリ Cape Weaver, Ploceus capensis
朝食はさすがに豪華。




オムレツも美味しかった。
チェックアウト後、ウエストコーストを北上。

Stoney Point
南アでペンギンと言うと、喜望峰に向かう半島の所にあるボルーダースビーチ Boulders Beach が有名だが (その様子は こちら )、ベティーズベイ Betty's Bay のストーニーポイント Stoney Point も同様に観られるよと友人に教えてもらったので、行くことに。
ケープペンギン African Penguin, Spheniscus demersus
ケープペンギンは、ポートエリザベスの近くのアルゴア湾からナミビアまでの間の24の島をコロニーとして生息している。1980年代に、2つのコロニーを陸地に持って来るべく、ケープタウン近くのボルダーズビーチとこのストーニーポイントが造られた。
のんびり日向ぼっこをしているのやら、

海で泳いでいるのやら、

このペンギンは、胸の所に黒い筋が2本ある、非常に珍しいもの。羽にもタグが付けられていた。

若い子供は、未だ産毛が残っている。

こちらの方にも、ほんの少し未だ首の所に産毛が残っている。この色から最終的に大人の白&黒の色に変わっていく。

若いペンギンが海から上がろうとしては、波に引き戻され、ヨチヨチと上陸する姿が可愛かった。

すぐそばに一般の住宅があるのは、ボルーダースビーチと同じ。
19世紀初頭には、南アに約400万羽のペンギンが居た。1910年には、ダッセン島 Dassen Island だけで145万羽もの大人のペンギンが生息していたが、1900年~1931年に45万個の卵が食用として収穫され、現在のアフリカのペンギンは18万羽よりも少ない状況となってしまった。産業革命前とでは、95%がいなくなったと言われている。
卵の食用の危機の後、最近は原油が新しい脅威となっている。
1994年に発生した原油流出により、1万羽は洗浄され生き残り、1000羽の雛も助けられたが、残る半分の1万羽は餌が獲れずに飢えから死んでしまった。
海鳥は原油漏れの被害を非常に受けるが、ペンギンは飛べない上、餌を求めて長い距離を泳ぐことが出来ないので、特にペンギンは弱い。
油が羽に付いてしまうと、独自の水をはじく成分が無くなり、身体が冷えて弱って餌が獲れなくなり、皮膚や目や内臓の病気を引き起こし、貧血や肺炎になる。この流出した原油は、2500万ランド(約2億5000万円)相当で、岩や砂から除去されるまでに半年かかった。
また、2000年、ペンギンの生息地であるダッセン島の沖で原油が流出したことから、38500羽のペンギン達が救出されることになり、オイルをかぶった19000羽は歯ブラシなどで身体についた原油を一羽一羽、洗い流してもらい、元気なペンギン達19500羽を避難させる為、トラックで、はるか800キロ離れたポートエリザベスまで運び、放たれた。ペンギンの場合、短い羽は他の海鳥達に比べて、洗浄はしやすい。
放たれたペンギン達は、再びダッセン島まで10~20日かけて泳ぎ帰って来る間に、流出した原油が処理されたのだとか。この時は、全体の9割が生き残ることが出来た。
しかし、2000年には20万羽いたが、2010年には55000羽に激減し、もしこのまま放置すれば、15年後にはケープペンギンは絶滅してしまうことが予想されるのだとか。
中東の原油の約3割はヨーロッパや北米にタンカーで運ばれる際、アフリカ大陸の南アの沖をぐるっと廻って行く。タンカーは50万トンの原油を積んでいるので、一度事故になると、自然界に大変な影響を及ぼす。
1993年から、全ての新しいタンカーは、船体を二重として環境に優しいデザインとなったが、それよりも古いタンカーは使用から25年以上経つと改造されるようになったのだそう。
1993年から、全ての新しいタンカーは、船体を二重として環境に優しいデザインとなったが、それよりも古いタンカーは使用から25年以上経つと改造されるようになったのだそう。
ペンギンのコロニーではあるが、他の海鳥達も仲良く。

右 キノドハナグロウ Cape Cormorant, Phalacrocorax capensis の幼鳥
左 ズアオカモメ Grey-heded Gull, Chroicocephalus cirrocephalus

右 キノドハナグロウ Cape Cormorant, Phalacrocorax capensis の幼鳥
左 ズアオカモメ Grey-heded Gull, Chroicocephalus cirrocephalus

この界隈の庭先には、綺麗なピンクッションがあちこちに植えられていた。

この日もあちこちで良く出会った。
ケープキジシャコ Cape Spurfowl, Pternistis capensis
ケープタウンまで北上する間も、白や黄色の花畑が続く。



ケープタウンの北30キロにある Koeberg Nuclear Power Station
南アで1つ、つまりアフリカ大陸で唯一の原発! 高速道路からこれぐらいの近さで見える。
この後、ウェストコーストナショナルパーク West Coast National Park へ。その様子は<9>で。
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