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中高時代の友人達と久しぶりに神戸にランチをしに行った。
その途中に生田神社があったので、ちょっと立ち寄った。

もう来年の「ひつじ年」の絵馬が置かれていて、熱心に撮っているオジサマも。ずいぶん斬新な絵馬のデザインだった。
生田神社、その名前は知っていても、わざわざ寄ったのは初めてかも。ということで、調べてみたら、「神戸」 の由来はこの神社からだったとは。

中高時代の友人達と久しぶりに神戸にランチをしに行った。
その途中に生田神社があったので、ちょっと立ち寄った。

もう来年の「ひつじ年」の絵馬が置かれていて、熱心に撮っているオジサマも。ずいぶん斬新な絵馬のデザインだった。
生田神社、その名前は知っていても、わざわざ寄ったのは初めてかも。ということで、調べてみたら、「神戸」 の由来はこの神社からだったとは。
生田神社 wikipedia より抜粋
201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”に居りたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせて欲しい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。
平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。
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