ジャンドウーバの市を見学後、ブラレジアへ。
しかし、しかし、そこでとんでもないことが判明!! なんとなんと、この地域の遺跡全部の係官達がストライキを起こし、全て見学出来ないとのこと!!
我々のみならず、ヨーロッパ系の観光バスやチュニジア人達も見学に来てはいたが、やはりストライキをしている事務所の人達の説明を受けて、退散せざるを得ず。。。
我々のガイドさんが、ここで発掘を実際にしているスタッフを知っているからと、横の入口からその人に交渉してくれたのだが、やはり彼もそのストライキのメンバーなので、我々だけを知人だからと入場させると自分が解雇されるから無理と断られ・・・
しかしそこで挫けてはならないと、ガイドさんが旅行会社に報告し、旅行会社がブラレジアでストライキをしている長の人に今度は交渉してくれることとなり、、、結局すったもんだしつつも、こっそり我々だけを入れてくれることになった!
ブラレジアは、ぱっと見るとあまり何もないように見えるが、ビザンチン時代まで栄えた地下住居がある。

夏が非常に暑いこの地域では、冬は一階で、夏は地下で住んでいたのだそう。地下だと、常時28度程度を保っていたとか。
他の地域にも、地下に住む人達はいるが、それは洞窟や斜面を利用して穴を掘るなどしていたが、ここは計画的に地下住居を造っている。
一軒の家屋の中央部分が中庭となっていて、一カ所の階段から地下に下りていくようになっている。

全部で4軒の家が発掘されているが、そのうち2軒に入らせてもらった。他の家屋は危険で一般見学者は立ち入れないとのこと。
彼はここの作業員で、10ディナール(約700円)の
袖の下を渡したところ、こっそり中に入れてくれた。
地獄の沙汰も・・・ではないが、、、

暗い階段を降りると、中庭に面してぐるりと四方に部屋がある。

そしてその部屋の中には、素晴らしいモザイクの数々が!!

モザイクは、土で白くなっていて模様がわかり辛い為、入れてくれた人が、水を撒いて、見やすくしてくれた。

「アンフィトリテの家」 と言われる家の地下には、ブラレジアで一番綺麗と言われるモザイクがあった。

トリトンとアフロディーテがモチーフとなっている。


勿論、地上階の回廊などにも未だ辛うじてモザイクが残っている。



ここにも劇場があった。
2万人が収容出来る。

当時から、身分制度ははっきりしていたので、舞台に近い良い席から順に上に行くほど庶民の席となっていた。
そして、劇場の外のこの四角い枠は、麦などを入れる為の物で、貧しい人達に施しを与える為の場所だった。

浴場跡


入ってすぐには、更衣室や荷物を預けるクロークがあり、エクササイズをしたり、マッサージを受けたり(別料金)、サウナに入るなど、ローマのカラカラテルメやカルタゴの浴場と同様だった。
こっそり見せてもらっているので、もっとじっくり見学したいのはやまやまだったが、切り上げて、ドウッガへ。
ドウッガも同様にストライキ中と聞いてはいたが、取り敢えず、当たって砕けろと行ってみた。しかし、、、そちらは入口が一カ所だけで、警察が封鎖していた為、交渉作戦も、袖の下作戦も出来ずに退散。
とっても残念だったが、ブラレジアだけでも見られて良かったかと。
この後、だったら、係り員もいないアイン・トウ・インガの遺跡であれば、ストライキの影響もないかと、そちらに行ってみることにした。その様子は<9>で。
しかし、しかし、そこでとんでもないことが判明!! なんとなんと、この地域の遺跡全部の係官達がストライキを起こし、全て見学出来ないとのこと!!

入口は門に大きな施錠がかけられ、入れない。
我々のみならず、ヨーロッパ系の観光バスやチュニジア人達も見学に来てはいたが、やはりストライキをしている事務所の人達の説明を受けて、退散せざるを得ず。。。
我々のガイドさんが、ここで発掘を実際にしているスタッフを知っているからと、横の入口からその人に交渉してくれたのだが、やはり彼もそのストライキのメンバーなので、我々だけを知人だからと入場させると自分が解雇されるから無理と断られ・・・
しかしそこで挫けてはならないと、ガイドさんが旅行会社に報告し、旅行会社がブラレジアでストライキをしている長の人に今度は交渉してくれることとなり、、、結局すったもんだしつつも、こっそり我々だけを入れてくれることになった!


他の地域にも、地下に住む人達はいるが、それは洞窟や斜面を利用して穴を掘るなどしていたが、ここは計画的に地下住居を造っている。
一軒の家屋の中央部分が中庭となっていて、一カ所の階段から地下に下りていくようになっている。

全部で4軒の家が発掘されているが、そのうち2軒に入らせてもらった。他の家屋は危険で一般見学者は立ち入れないとのこと。
彼はここの作業員で、10ディナール(約700円)の
袖の下を渡したところ、こっそり中に入れてくれた。
地獄の沙汰も・・・ではないが、、、

暗い階段を降りると、中庭に面してぐるりと四方に部屋がある。

そしてその部屋の中には、素晴らしいモザイクの数々が!!

モザイクは、土で白くなっていて模様がわかり辛い為、入れてくれた人が、水を撒いて、見やすくしてくれた。

「アンフィトリテの家」 と言われる家の地下には、ブラレジアで一番綺麗と言われるモザイクがあった。

トリトンとアフロディーテがモチーフとなっている。


勿論、地上階の回廊などにも未だ辛うじてモザイクが残っている。
洗礼を行った洗礼水盤



ここにも劇場があった。
2万人が収容出来る。

当時から、身分制度ははっきりしていたので、舞台に近い良い席から順に上に行くほど庶民の席となっていた。
そして、劇場の外のこの四角い枠は、麦などを入れる為の物で、貧しい人達に施しを与える為の場所だった。

浴場跡


入ってすぐには、更衣室や荷物を預けるクロークがあり、エクササイズをしたり、マッサージを受けたり(別料金)、サウナに入るなど、ローマのカラカラテルメやカルタゴの浴場と同様だった。
こっそり見せてもらっているので、もっとじっくり見学したいのはやまやまだったが、切り上げて、ドウッガへ。
ドウッガも同様にストライキ中と聞いてはいたが、取り敢えず、当たって砕けろと行ってみた。しかし、、、そちらは入口が一カ所だけで、警察が封鎖していた為、交渉作戦も、袖の下作戦も出来ずに退散。
とっても残念だったが、ブラレジアだけでも見られて良かったかと。
この後、だったら、係り員もいないアイン・トウ・インガの遺跡であれば、ストライキの影響もないかと、そちらに行ってみることにした。その様子は<9>で。
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