いきなり知らされた遺跡の係り員達のストライキ。ブラ・レジアは何とか袖の下作戦で見学することが出来たが(その様子は <8> で)、世界遺産のドゥッガの入口は一カ所しかなく、そこを警察が封鎖していたので、結局見学することは出来ず。

取り敢えず、近くのレストラン Thugga でお昼を。
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ローストした野生のイノシシ肉とのこと。イスラム教徒はイノシシも豚も食べないので、ここで食べられるとは意外だった。

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アイン・トウ・インガ
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ここなら係員もいない遺跡なので、ストライキの影響がないだろうと、急遽訪れた遺跡。ローマ時代やビザンチン時代の学校や学校の寮などがあった。

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この半円形の所が教室。使われている石が安物の石なので、一般の中流の学校だったと考えられる。

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これらの柱のうち、背の高い柱だけはそのまま倒れずに立っていたが、他の柱は倒れていたのを修復作業で立てたとのこと。

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まだまだそのまま放置されている所も多い。

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規模は小さい街ではあるが、それでも上下水道が完備されていたことを示す穴。

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2階建ての劇場も勿論あり、5000人~5500人を収容出来たとのこと。その劇場の石などはすでに盗まれてしまっている。

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門では、来客者に、オリーブオイルとミルクを出して歓迎の意を表していたのだとか。

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本来、ドゥッガの街を守る為の街だったので、ビザンチン時代にはここで多くの兵士がここに駐屯して護衛していた。この壁は、その当時の城壁になっていたもので、特に分厚く造られている。

過去の歴史として、ここで多くのイスラム教徒であるオスマントルコの人達がビザンチンのキリスト教徒によって殺されたことがある為、追悼をこめてヴァチカンから毎年ここに使者がやって来る場所でもある。そういう歴史がある為、色々な遺跡があるにもかかわらず、ここがあえて大々的な観光スポットになっていないと考えられるのだとか。。。
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そんな色々な意味のある場所ではある為か、現在は発掘や修復があまり進んでおらず、地元の放牧の人達が牛と共に通るルートとなっている。牛追いの人が携帯片手に歩いているのは今のご時世だが。
これが今の状況。つわものどもが夢の跡・・・とでも言うべきか。

チュニスに戻る途中の帰途で見かけた光景。

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各種オリーブを売っている。オリーブオイルは、種から造るので、種が大きいものから、食用の物は皮の薄くて種が小さい物から造られる。

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この時期はオレンジやレモンが最盛期。シーズンの名残りのザクロや、オアシスで採れたバナナなどと共に、街道沿いに売られている。

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見かけた子供達のお遣いの様子。ラバに乗って、水を汲んで来たもよう。

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テストゥール Testour 近くで見かけたお墓。スペインはアンダルシア地方風なお墓とのこと。

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高速道路の高架橋に描かれたものたち。
落書きなのか、アートとして描かれたものなのかわからないが撮ってみた。

この後は、チュニスに戻って、メディナなどを散策。その様子は<10>で。