ローマ時代の遺跡がちりばめられているチュニジア。水道橋もしかり。
ザグーアン水道橋 L'Aqueduc de Zaghouan

ザグーアンの山を水源として、地中海に面したカルタゴまでの総延長135キロメートル(「歩き方」には132キロ)の水道橋。世界最長で、地下水路部分も多いが、現在残っている部分だけでも20キロはあると言う。
ハドリアヌス帝の時代(紀元118年)に建設された。イタリア本国や、ローマの影響下だったフランスにも水道橋は残っているが、長くても総延長は30キロ。

2.5メートルもの高さのトンネル状態になっている所を水が通っていた。

上から2枚目の画像でかすかにわかるが、泉からの水の圧力でトンネル部分が壊れないように、水・空気抜きの煙突がトンネルの上部にところどころ造られている。
計算しつくした傾斜によって、はるか135キロもの距離から水を引くその技術にも驚かされる。
ウティナ遺跡 Uthina (ウドゥナ Oudna 遺跡)

闘技場

小高い丘の上に造られているので、この闘技場は、全て石などを盛ったものではなく、丘をくり抜いてその斜面を利用し、上部とステージ部分やアーチ部分を建造した。
大きさは、120メートル×89メートルで、アリーナ部分は67メートル×36メートル。

より小高い丘の上には、神殿がある。

収容人数は1万6千人。
チュニジア国内では、カルタゴとエル・ジェムの闘技場に次ぐ、3番目の大きさ。
入口はひとつで入場を管理していたが、出る時は混乱を防ぐために何カ所もの出口を使用していた。

丘の上の神殿跡
The
Capitol
43メートル×27メートルの大きさで、アフリカにおけるローマ時代の神殿では最も規模の大きなもののひとつ。丘の上に盛り土をしてより高く造り、遠方からでもシンボルとして見やすいようにしている。紀元1世紀末から紀元2世紀初頭に造られた。
この6本のうち、3本の柱の後ろには、3体の神(ジュピター、ジュノー、ミネルヴァ)があった。

神殿の柱や階段が修復されているが、実際の
イメージも展示してあった。
このエリアは、神官や行政官だけの場所だった。
独自の水道橋を持っていた。

神殿からの眺めは素晴らしい。
5世紀のビザンチンの時代には、ここが見張り所として使用された。

入口界隈には綺麗な
モザイクが未だ残っている。


オリーブを挽いてオリーブオイルを作る石臼などもあった。

手前の建物には、どのように発掘して
いったのか、その行程などを示した
写真などが展示されている。
ガイドさんがかつて考古学を教え、現在ここで働いている人が付いてくれたのだが、アジア人が相当珍しかったのか(テルマエロマエの平たい顔族みたいだからか?)、一緒に写真を撮ってくれと頼まれてしまった。

一般の人達が
住んでいたエリア。
紀元2~3世紀が最盛期。
The Laberii House
紀元2世紀に建てられた、ウティナ遺跡でも非常に美しい家で、1600平米あり、裕福な家だった。
復元とはいえ、当時、家々はこんなに綺麗なモザイクで彩られていたとは。
オリジナルはチュニス郊外のバルドー博物館が所蔵している。



当時の農家の様子などが良くわかる。

これも公衆浴場の遺跡だったのだが、ドイツ軍の爆撃で破壊されてしまった。
一路、ケロアン(カイルアン) Kairouan へ。


ラクダが放牧されている。
・・・と思いきや、街道沿いには、お店が。


こちらでは、ラクダのぬいぐるみと、ホンモノの足が吊るされ、ラクダ肉屋さんであることを示していて、腿肉などが吊って売っている。
チュニジア南部では、羊が好む草が育ちにくいことから、羊肉よりもラクダ肉を多く売っている。ラクダ肉は高級で、脂肪分が少なくヘルシーなのだそう。
これらお店の形態に驚いていたのだが、徐々に、見慣れていった。。。
と言うのも、チュニジアでは、牛肉を売っているお店では牛の頭が、ラム肉を売っているお店では羊の頭が、という風で、何屋さんかがわかりやすいと言えば非常にわかりやすくなっている。
そしてケロアン(カイロアン)に到着。その様子は<11>で。
ザグーアン水道橋 L'Aqueduc de Zaghouan

遠目からでも、その存在は目をひく。

ザグーアンの山を水源として、地中海に面したカルタゴまでの総延長135キロメートル(「歩き方」には132キロ)の水道橋。世界最長で、地下水路部分も多いが、現在残っている部分だけでも20キロはあると言う。
ハドリアヌス帝の時代(紀元118年)に建設された。イタリア本国や、ローマの影響下だったフランスにも水道橋は残っているが、長くても総延長は30キロ。

2.5メートルもの高さのトンネル状態になっている所を水が通っていた。

途中、カーブして方向を変えている部分も。
上から2枚目の画像でかすかにわかるが、泉からの水の圧力でトンネル部分が壊れないように、水・空気抜きの煙突がトンネルの上部にところどころ造られている。
計算しつくした傾斜によって、はるか135キロもの距離から水を引くその技術にも驚かされる。
ウティナ遺跡 Uthina (ウドゥナ Oudna 遺跡)

闘技場

小高い丘の上に造られているので、この闘技場は、全て石などを盛ったものではなく、丘をくり抜いてその斜面を利用し、上部とステージ部分やアーチ部分を建造した。
大きさは、120メートル×89メートルで、アリーナ部分は67メートル×36メートル。

より小高い丘の上には、神殿がある。

収容人数は1万6千人。
チュニジア国内では、カルタゴとエル・ジェムの闘技場に次ぐ、3番目の大きさ。
入口はひとつで入場を管理していたが、出る時は混乱を防ぐために何カ所もの出口を使用していた。
グラディエーターや猛獣?の居た地下通路。

丘の上の神殿跡
The
Capitol
43メートル×27メートルの大きさで、アフリカにおけるローマ時代の神殿では最も規模の大きなもののひとつ。丘の上に盛り土をしてより高く造り、遠方からでもシンボルとして見やすいようにしている。紀元1世紀末から紀元2世紀初頭に造られた。
この6本のうち、3本の柱の後ろには、3体の神(ジュピター、ジュノー、ミネルヴァ)があった。

神殿の柱や階段が修復されているが、実際の
イメージも展示してあった。
このエリアは、神官や行政官だけの場所だった。
独自の水道橋を持っていた。

神殿からの眺めは素晴らしい。
5世紀のビザンチンの時代には、ここが見張り所として使用された。

入口界隈には綺麗な
モザイクが未だ残っている。

地下には瞑想する場所もあった。

オリーブを挽いてオリーブオイルを作る石臼などもあった。

手前の建物には、どのように発掘して
いったのか、その行程などを示した
写真などが展示されている。
ガイドさんがかつて考古学を教え、現在ここで働いている人が付いてくれたのだが、アジア人が相当珍しかったのか(テルマエロマエの平たい顔族みたいだからか?)、一緒に写真を撮ってくれと頼まれてしまった。

一般の人達が
住んでいたエリア。
紀元2~3世紀が最盛期。
The Laberii House
紀元2世紀に建てられた、ウティナ遺跡でも非常に美しい家で、1600平米あり、裕福な家だった。

オリジナルはチュニス郊外のバルドー博物館が所蔵している。

ワインを献上している図


当時の農家の様子などが良くわかる。

これも公衆浴場の遺跡だったのだが、ドイツ軍の爆撃で破壊されてしまった。
一路、ケロアン(カイルアン) Kairouan へ。

何もない所で、
いきなり陶器を売っていた。
いきなり陶器を売っていた。

ラクダが放牧されている。
・・・と思いきや、街道沿いには、お店が。

お店の横でラクダが繋がれている。
ペット?っなわけはなく、、、軒下には何やら
ビニールに入ったものが売られている。
ペット?っなわけはなく、、、軒下には何やら
ビニールに入ったものが売られている。


こちらは究極。
本物の頭部がラクダ肉屋さんを示していた。
本物の頭部がラクダ肉屋さんを示していた。
チュニジア南部では、羊が好む草が育ちにくいことから、羊肉よりもラクダ肉を多く売っている。ラクダ肉は高級で、脂肪分が少なくヘルシーなのだそう。
これらお店の形態に驚いていたのだが、徐々に、見慣れていった。。。
と言うのも、チュニジアでは、牛肉を売っているお店では牛の頭が、ラム肉を売っているお店では羊の頭が、という風で、何屋さんかがわかりやすいと言えば非常にわかりやすくなっている。
そしてケロアン(カイロアン)に到着。その様子は<11>で。
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