イメージ 1前日は金曜で礼拝があった為に入れなかったので、この日はまず朝一番にケロアン(カイロアン)のグランモスクに。



ケロアン グランド・モスク
(シディ・ウクバ・モスク)

670年に建立され、現在のものは9世紀に再建されたもの。
実際に、男女がここで出会う場所ではないが、女性が男性との出会いを願いに来る所なのだそう。



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日時計









イメージ 2中央に濾過も出来る排水溝がついていて、スロープになった広場の雨水を地下に貯めるようになっている。
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礼拝堂


これらの柱は、ローマ、カルタゴ、ビザンチンなどから集められた。





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女性が祈る場所は、この中央の通路の左側の区切られて見えない部分となっており、子供などを預かってくれる場所も併設されているが、やはり男性の方が礼拝に訪れる数は多い。






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本や水なども置いてあり、仕事のない老人などは一日ここで過ごすなど、地域の公民館的な役割も果たしている。


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説教壇は300枚の板を組み合わせた 
透かし彫りで、木造では世界最古とのことだが、
現在、本物は博物館にあるとか。


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入口の門の横にも、
宗教関係の本を扱う図書館がある。









ケロアンを後にして、この日は一路、トズールに向かう。

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サボテンをフェンスとして植え、葉は動物の餌、つぼみは食用に。サボテンはメキシコからやって来たが、チュニジアの他、アルジェリア、モロッコ、マルタ島などでもあり、食用でないものは北アフリカ独特の種類となっている。


色々な露店が街道沿いにある。

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男どもが集まっているので、何屋さんかと思いきや、鶏卵を売っていた。

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簡易ガソリンスタンド、そして車の部品?屋さん


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チュニジア料理の定番突き出しである、ハリサに使うレッドチリ。




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この辺りは、水がもともと乏しく、谷から水をひいている貧しいエリアなのだが、ここ4年間全く雨が降っていないので、今は非常に生活が大変とのこと。





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そして、羊をさばいた後の皮と頭部をお店の前に吊るして、羊肉を扱っていることを示すお店が増えて来た。








スベイトラ(スフェトゥラ)遺跡


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紀元131年から造られ、山から攻めて来るベルベル人から街を守る為に、最大の軍がこの街を守っていた。
ビザンチン時代(東ローマ帝国)に最盛期を迎えていたが、アラブ軍に攻められた。
未だ全体の3%だけが発掘されたに過ぎず、後30年以上が必要とのこと。発見当初は、この神殿群の半分が泥に埋まっていた。

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劇場


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浴場 
温めたスチームが、地下を通り煙突状の床から出る 
スチームサウナ。熱いので、靴を履いて入って10分程度 
過ごしていた。その床にはモザイクが施されていた。






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バジリカ跡 アラブが破壊した。
ここは、アルジェリアから最も近い大きな街として、アルジェリアからも洗礼を受けに多くの人がやって来ていたのだそう。

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参道










参道の両側は、お店屋さんがあった。


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アントニウス・ピウスの門を入ると、















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左から、ミネルバ、ジュピター、ジュノーの神殿。 アラブ軍が、石などをモスク造りの為に全て取ってしまった。


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別のバジリカ
昔は銀行だったのだが、その後の
ビザンチン時代に教会や学校となった。






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洗礼水盤



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バジリカの典型
中央部分に供物を捧げる場所があり、奥が半円になっている。







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オリーブオイルの圧搾場所









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水もほとんどないこんな場所に、
ヒタキ系の鳥さんが。






この後は、ガフサ、ドゥーズに向けてドライブ。その様子は<15>で。