名古屋から東京に移動する日の午前中、久しぶりに名古屋駅からぷらっと四間道(しけみち)方面へ散歩してみた。
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那古野(なごの)にある円頓寺(えんどうじ)界隈は、城下町として発展し、特に七代藩主徳川宗春の時代には商業地として成長した。
元禄13年(1700年)の大火の為に1600軒ほどが焼失してしまった為、それまで2~3間だった堀川問屋筋の裏道を、防火用の火きり道として4間(約7メートル)に広げたことから、四間道と名付けられた。
四間道の東側(上の画像の右側)には石垣の上に建つ土蔵を造って防火壁代わりとし、西側(上の画像の左側)を町屋とした。大火から40年かかった元文年間(1740年)頃に完成されとのこと。
詳しくは、以前の記事の こちら を。

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レンガ造り、黒板塀、そして左奥には青い色の板塀の家々などもある。今はレストランなどに活用されている所が多い。

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ビルと塀の間の所に屋根神様を発見。
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屋根神さまは、津島神社、秋葉神社、熱田神宮を祭神としている。
当初は疾病流行の恐怖から身を守るために天王信仰が起こり津島神社のみが祀られ、続いてこの地にあった大火から、火ぶせ(防)の神である秋葉神社が、さらに明治時代に入り日清・日露戦争への出征兵士の無事を祈って熱田神宮を祀るようになったのだそう。屋根の上に小さな社を祭るという形態は名古屋独特。

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以前は大きな一軒のお医者さんの家だった広い場所を一旦更地にして、町屋風の建物を改めて建てたエリアがあり、5軒ほどのレストランやバーが昨年からオープンしているとのこと。
友人にその一軒のレストランに連れて行ってもらったがなかなか良い雰囲気。
その食べ物記事はたまっている南アの食べ物記事をアップしてから追って。。。

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五条橋

かつて清州城下の五条川に架けられていた橋を、清州越し(慶長15年、1610年より行われた清州よりの街ぐるみの引っ越しのこと)の際に、この地に移築され、橋の名前もそれに由来する。
もともとは木製の橋だったが、昭和13年にコンクリートに架けかえられた。

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この後、名古屋城方面に足を伸ばしてみることに。途中、ツツジがとても綺麗に咲いていた。名古屋城では藤を楽しむなどした。その様子は追って。