大阪キタの梅田界隈でも、案外行っていない所が多い。
お初天神
お初天神のあるお初天神通りのアーケードは通っても、お初天神に立ち寄ったことがなかったので、行ってみた。


お初天神は通称で、露天神社(つゆのてんじんじゃ)が正式名称。
創建は西暦700年頃で、菅原道真が大宰府へ左遷される途中に都を偲んで涙を流したからとも、梅雨の頃に神社の前の井戸から水が湧き出た為とも言われているとのこと。
拝殿
お初天神と言われるようになった経緯:
元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げ、一月後に近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となり、事件の神社は一躍有名となる。そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されているのだそう。
そのようないきさつから、ここに
架けられている絵馬はハート形が多い。

ビルとビルの間にあるのが裏参道。
太融寺(たいゆうじ)

弘仁12年(821年)創建。
この辺りにあることは知っていても、行ったことがなかったので足を伸ばしてみた。

やはり、こちらもビルとビルの間にあるような印象。


不動明王

淀君のお墓がここにあるとは知らなかった。
京都は東山の高台寺ぐらいにあると思っていたのだが、墓所は京都市東山区の養源院、大阪市北区の太融寺とのこと。
もともと、大坂城外鴫野弁天島(現在の大阪ビジネスパークの辺り)の「弁天社」の隣に一祠を作って埋められ「淀姫神社」とされたが、明治10年(1877年)に、その地域の軍による使用の為に移されたのだとか。

しかし、しかし、そんな歴史のある場所も、今はこの辺りは歓楽街となっていて、千手観音の視線の先にはドカーンとラブホテルのビル。

お初天神
お初天神のあるお初天神通りのアーケードは通っても、お初天神に立ち寄ったことがなかったので、行ってみた。

表参道

お初天神は通称で、露天神社(つゆのてんじんじゃ)が正式名称。
創建は西暦700年頃で、菅原道真が大宰府へ左遷される途中に都を偲んで涙を流したからとも、梅雨の頃に神社の前の井戸から水が湧き出た為とも言われているとのこと。
拝殿
お初天神と言われるようになった経緯:
元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げ、一月後に近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となり、事件の神社は一躍有名となる。そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されているのだそう。

そのようないきさつから、ここに
架けられている絵馬はハート形が多い。

ビルとビルの間にあるのが裏参道。
太融寺(たいゆうじ)

弘仁12年(821年)創建。
この辺りにあることは知っていても、行ったことがなかったので足を伸ばしてみた。

やはり、こちらもビルとビルの間にあるような印象。

ご本尊は、千手観世音菩薩。

不動明王

淀君のお墓がここにあるとは知らなかった。
京都は東山の高台寺ぐらいにあると思っていたのだが、墓所は京都市東山区の養源院、大阪市北区の太融寺とのこと。
もともと、大坂城外鴫野弁天島(現在の大阪ビジネスパークの辺り)の「弁天社」の隣に一祠を作って埋められ「淀姫神社」とされたが、明治10年(1877年)に、その地域の軍による使用の為に移されたのだとか。

しかし、しかし、そんな歴史のある場所も、今はこの辺りは歓楽街となっていて、千手観音の視線の先にはドカーンとラブホテルのビル。

東通り商店街は相変わらずと言ったところかな。
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