(2014年の年末から2015年の年始にかけて行ったチュニジア旅行記は、しばし中断しておりましたが、すっかり忘却の彼方になってしまう前に備忘録として、残りを記事アップすることと致します。)

チュニジア第3の都市であるスース。
フェニキア人によって紀元前9世紀頃に造られ、ビザンチン時代の7世紀になってアラブ人がやって来て抗戦するも崩壊し、アラブ人によってスーサとして再建され、シチリア島遠征の拠点とした。

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リバト Ribat 

8世紀に建てられたメディナで最古の建物。町を外的から守る要塞となる。
近世にも、ドイツ、フランス、イタリアからの攻撃をここで守ることとなった。






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見張り台の38メートルの高さの塔に登ることが出来るので上がってみた。狭い階段を上がっていく。

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古い町並みのメディナは、ユネスコの世界遺産。









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モスクの中庭などが良く見える。
このモスクはかつてシーア派が建てた物なので、ミナレットがないが、今現在シーア派はアフリカ大陸にはいない。




塔に我々の後から登ろうと来た若い男性3人連れが、声をかけて来て、一緒に写真を撮ろうと。しかし、勿論声をかけた相手も宿六、一緒に撮るのも宿六とだけ。アルジェリアから観光にやって来たアルジェリア人だった。
以前に、チュニスでこれまた私が若い女性達に一緒に写真を撮ってくれと言われた時は、宿六は不要。やはりイスラム圏の人達は、初対面だと同性としか写真を撮ったりしないものなのかなと。


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漁港は日本と似た風景かと。






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街行く女性達は、頭をスカーフで覆っている人も覆っていない人もと、色々。








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旧市街メディナを。


紀元500年頃のビザンチンの教会をモスクに改装した為、モスクの壁ではあるが、ヴィーナスの模様が残っている。







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やはりここでもジェダイの騎士も着た
チュニジアのマントなどが売っている。



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ディーツ (干しナツメヤシ) 屋さん

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宝石屋さんのショーウインドー前には、若いカップル達が。




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イメージ 16オリーブ屋さん

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美味しそうな物を作っていたが、お腹がいっぱいで食べられず・・・


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何のお肉を扱っているか、一目瞭然。










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新鮮なお魚達がたくさん。

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とても流行っていたパン屋さん。
やはりここで買いに来ているのは男性ばかりだった。








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スースから一路、首都チュニスへと向かったが、途中の山には白い雪も見られた。







再び戻ったチュニスの様子は追って。