世界遺産のあるゴンダールに到着。海抜2260メートル。

観光に行く前にまずは、レストラン Four Sisters で腹ごしらえ。
エチオピアの伝統料理が色々と並ぶ。


デザートなのだが、黒いのはまるで
沖縄のサータアンダギーに黒蜜をかけた物と
言った感じだった。


蜂蜜から造ったワインであるタッチ。
お腹を壊すこともあるとガイドブックに
あったので、旅行も序盤なので
ほんの少しもらうだけにした。
蜂蜜と言うから甘い物を想像していたが
酸味があり、ほんのり蜂蜜の香り。

オーナーはドイツ人(だったかな?)のお店だが、屋号の通り、4人の姉妹でやっていて、一番若い妹さんが、コーヒーセレモニーでコーヒー豆を煎って、皆に香りをかがせてくれた。


世界遺産にもなっている ゴンダール城 を観光。
1632年に、ファシリデス王が、ゴルゴラと言う街がマラリアで大変だった為、マラリアの心配のない海抜が高く水と山のある、ゴンダールに遷都した。7ヘクタールの場所に、6つの宮殿がある。
1941年に、この場所を占拠していたイタリア軍に、イギリス軍が爆撃した為、あちこちが破壊されている。
ファシリデス王の城

中央には大きな門があり、右側が3階建てのお城となる。1階は男女皆が共有し、2階は王の間、3階は王の読書をする間となっていた。
四方向に見晴らし台が設置され、周囲にある44ものエチオピア正教の教会などが望め、教会に行かなくてもここからお祈りが出来た。王様の言葉を伝えるバルコニーからは、当時は拡声器がなかったので、3人のスポークスマンが大声を張り上げて伝え、一般市民が何か王に助けを求めたい場合には、のろしを上げて知らせた。
建物横の石垣あたりは冷蔵庫として、バーリー(大麦)で造ったビールや
蜂蜜のワインを冷やしていた。

内部の壁には、キリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教の影響も受けているのがわかる。

服を着替える間の
オリジナルの天井部分。


6~8月の雨季は結構寒くなるので、
ここで火を焚いて、上階に暖かい空気を
送るセントラルヒーティングにしていた。


スチームバス


女性が生理の時には立ち入れないので、
この円形の場所からお祈りをしていた。

ヨハネス王の図書館
とても良い王様で、ユダヤ教徒、イスラム教徒にも寛容だった。
市場で売っている生きた鶏でさえ、逆さに吊るしているのは可愛そうだからと、王の命で籠に入れて売るようになったとか。

イヤス王の宮殿
金銀などの財宝は盗まれてしまった。


結婚式やお葬式を行う場。



1981年までは、エチオピアにもライオンが生息しており、各王様は、その権威を見せつける為に、ライオンを飼っていた。


イヤス王のスチームバス
病気だった王の為のもの。

脱いだ服をかけておくフックが今も残っている。
バカファ王の宮殿
左側は馬小屋、右側が宴会をする広間として、円卓をいくつも用意して300名が集った。
イタリア軍がコンクリートで屋根などを補強した為、重すぎて、本来の壁が持ちこたえられない状態にあり、現在はつっかえ棒などをして壁や屋根を支えている。



現在もユネスコによる修復が続いており、昔と同じ工法で修復している。
セメントのない時代に建てられた物なので、6か月、ライムストーンを地下に寝かせ、10日間水と混ぜたものを使っている。

1757年から、86年間は戦国時代となり、1855~1868年は統一されたが、王様は国の窮状を英国にうったえ、支援を求めるものの断られてしまい、王様は自殺。
第二次世界大戦の時にイタリアが占拠していた為に、英国が攻めて来た。
1974~1983年までは、共産党の政府が治めていた。
アフリカ大陸の中では、リベリア以外は植民地化されておらず、エチオピアもイタリアに占拠されていただけと、アフリカにおいては稀有な歴史のエチオピア。
イタリア人の末裔などは今はもういないが、お城から見えるこの街などには、イタリアの名前が付けられており、地名などに未だ残っているとのこと。
この後は、エチオピアの最高傑作と言われる宗教がのあるダブラ・ブラハン・セラシエ教会へ。
その様子は<7>で。

観光に行く前にまずは、レストラン Four Sisters で腹ごしらえ。
エチオピアの伝統料理が色々と並ぶ。


デザートなのだが、黒いのはまるで
沖縄のサータアンダギーに黒蜜をかけた物と
言った感じだった。


蜂蜜から造ったワインであるタッチ。
お腹を壊すこともあるとガイドブックに
あったので、旅行も序盤なので
ほんの少しもらうだけにした。
蜂蜜と言うから甘い物を想像していたが
酸味があり、ほんのり蜂蜜の香り。

オーナーはドイツ人(だったかな?)のお店だが、屋号の通り、4人の姉妹でやっていて、一番若い妹さんが、コーヒーセレモニーでコーヒー豆を煎って、皆に香りをかがせてくれた。


マシンコと言う伝統楽器。
世界遺産にもなっている ゴンダール城 を観光。
1632年に、ファシリデス王が、ゴルゴラと言う街がマラリアで大変だった為、マラリアの心配のない海抜が高く水と山のある、ゴンダールに遷都した。7ヘクタールの場所に、6つの宮殿がある。
1941年に、この場所を占拠していたイタリア軍に、イギリス軍が爆撃した為、あちこちが破壊されている。
ファシリデス王の城

中央には大きな門があり、右側が3階建てのお城となる。1階は男女皆が共有し、2階は王の間、3階は王の読書をする間となっていた。四方向に見晴らし台が設置され、周囲にある44ものエチオピア正教の教会などが望め、教会に行かなくてもここからお祈りが出来た。王様の言葉を伝えるバルコニーからは、当時は拡声器がなかったので、3人のスポークスマンが大声を張り上げて伝え、一般市民が何か王に助けを求めたい場合には、のろしを上げて知らせた。
建物横の石垣あたりは冷蔵庫として、バーリー(大麦)で造ったビールや
蜂蜜のワインを冷やしていた。

内部の壁には、キリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教の影響も受けているのがわかる。

服を着替える間の
オリジナルの天井部分。

見張り番の部屋だったのだが、
イタリア軍が床に穴を開けてトイレにしてしまった。
イタリア軍が床に穴を開けてトイレにしてしまった。

6~8月の雨季は結構寒くなるので、
ここで火を焚いて、上階に暖かい空気を
送るセントラルヒーティングにしていた。

井戸がないので、
雨水を貯める貯水システム。
雨水を貯める貯水システム。

スチームバス

お城に続く橋が上にかかっていたのだが、
その下の部分は監獄となっていた。
その下の部分は監獄となっていた。

女性が生理の時には立ち入れないので、
この円形の場所からお祈りをしていた。

ヨハネス王の図書館
とても良い王様で、ユダヤ教徒、イスラム教徒にも寛容だった。
市場で売っている生きた鶏でさえ、逆さに吊るしているのは可愛そうだからと、王の命で籠に入れて売るようになったとか。

イヤス王の宮殿
金銀などの財宝は盗まれてしまった。

大きな建物を造る前に、ライムストーンなどを使って
実験的に建てられたタワー跡。
実験的に建てられたタワー跡。

結婚式やお葬式を行う場。

ファシリデス王の図書館?(だったかな?)
2階には見張りの兵士が立っていた。
2階には見張りの兵士が立っていた。


1981年までは、エチオピアにもライオンが生息しており、各王様は、その権威を見せつける為に、ライオンを飼っていた。

ダビデ王の音楽の間
上半身の両肩だけをゆらして踊るゴンダールスタイルの
ダンスを王の前で披露したりしていた。
因みに、ゴンダールにあるジョークとして、マラリアの心配のない
高地のゴンダールでは肩を揺らすだけだが、マラリア蚊の居る
低地のダンスは全身を動かして蚊を追い払っていたと
言うのがあるのだそう。
奏でられる楽器は、太鼓、横笛、1本線のマシンコ(上の画像)、
3~6本線のクラーと言う楽器。
上半身の両肩だけをゆらして踊るゴンダールスタイルの
ダンスを王の前で披露したりしていた。
因みに、ゴンダールにあるジョークとして、マラリアの心配のない
高地のゴンダールでは肩を揺らすだけだが、マラリア蚊の居る
低地のダンスは全身を動かして蚊を追い払っていたと
言うのがあるのだそう。
奏でられる楽器は、太鼓、横笛、1本線のマシンコ(上の画像)、
3~6本線のクラーと言う楽器。

イヤス王のスチームバス
病気だった王の為のもの。

脱いだ服をかけておくフックが今も残っている。
下のくぼみの部分から温かいスチームを出すようにしていた。
バカファ王の宮殿
左側は馬小屋、右側が宴会をする広間として、円卓をいくつも用意して300名が集った。
イタリア軍がコンクリートで屋根などを補強した為、重すぎて、本来の壁が持ちこたえられない状態にあり、現在はつっかえ棒などをして壁や屋根を支えている。


メントゥワブ女王の宮殿
息子が若過ぎた為、母が女王として治めた。
息子が若過ぎた為、母が女王として治めた。

現在もユネスコによる修復が続いており、昔と同じ工法で修復している。
セメントのない時代に建てられた物なので、6か月、ライムストーンを地下に寝かせ、10日間水と混ぜたものを使っている。

1757年から、86年間は戦国時代となり、1855~1868年は統一されたが、王様は国の窮状を英国にうったえ、支援を求めるものの断られてしまい、王様は自殺。
第二次世界大戦の時にイタリアが占拠していた為に、英国が攻めて来た。
1974~1983年までは、共産党の政府が治めていた。
アフリカ大陸の中では、リベリア以外は植民地化されておらず、エチオピアもイタリアに占拠されていただけと、アフリカにおいては稀有な歴史のエチオピア。
イタリア人の末裔などは今はもういないが、お城から見えるこの街などには、イタリアの名前が付けられており、地名などに未だ残っているとのこと。
この後は、エチオピアの最高傑作と言われる宗教がのあるダブラ・ブラハン・セラシエ教会へ。
その様子は<7>で。
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