アビジャタ・シャラ湖国立公園を後にして、シャシャマネ Shashamane と言う街に到着。
全くもって知らなかったのだが、ここはボブ・マーリーなどラスタファリアンの聖地。

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シャシャマネのヘッドクオーターには、「Twelve Trives of Israel」 と書かれていた。
キリスト教ではあるが、エチオピア正教とはまた違う。










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町には、ラスタカラーの赤、黄、緑があちこちに。


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赤は戦いで流された血、黄(金)は太陽、緑は自然を表し、この3色と中央のユダのライオンは、ラスタファリ運動のシンボルであり、エチオピア帝政時代の国旗でもあった。


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町を走るトゥクトゥクにも、ラスタカラーとハイレ・セラシエ1世の似顔絵が描かれている。



ラスタファリ運動とは:wikipedia より抜粋
聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する。
主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。

ハイレ・セラシエ1世とは:wikipedia より抜粋
Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日は、エチオピア帝国最後の皇帝。在位:1930年11月2日(戴冠式が行われた月日) - 1974年9月12日。
ハイレ・セラシエ1世はジャマイカを中心とする黒人運動、ラスタファリ運動において、神ヤハウェ(ジャー)の化身であり、地上における三位一体の一部であると信じられている。
1927年、ジャマイカの汎アフリカ主義運動家、マーカス・ガーヴィーが「黒人の王が即位する時のアフリカを見よ。その人こそ救世主となるだろう。」と予言したため、その3年後に即位したハイレ・セラシエ1世は南北アメリカ大陸の黒人達から、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇められるようになった。エチオピア南部の街シャシャマネのマルカウォディャ地区には、皇帝からその地を与えられたジャマイカ移民約200人が、エチオピア人のラスタファリアン約200人と共に住んでいる。
ハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪れた時に、ずっと日照りが続いていたが、いきなり雨が降ったことから、上記予言があたったとより神格化されることとなった。ジャマイカのボブ・マーリーの親もここに移り住んだ。ボブ・マーリー自身はこの町では生まれていないものの、ここに埋葬して欲しいとしたのだが、結局その願いは叶わなかったのだそう。ラスタファリアンにとっては、聖地なので、敢えて靴を履かずに裸足で歩いている人も居るとか。


ソド Sodo の街までの道すがら、見かけた光景。

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一般的な田舎の住居。
屋根の上には色々な形の物が設置されている。
鳥が巣を作らないようにする意味があるのだそうだが、それぞれ可愛い。





家畜のマーケットでも開かれているのかと思いきや・・・

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なんと水汲み場!
そして
家畜の水飲み場!








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界隈の道路は、水を汲みに来た人達が行き来している。

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ロバに、台車を引かせたり運ばせているのは未だ良い方。
水汲みは女性の仕事とされている部族が多く、子供や若い女性達も非常に良く働いていた。

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最初この光景に非常に驚いたのだが、エチオピアを車で旅行してみて、朝のみならず四六時中、良く見る光景だった。水を汲みに、何時間もかけて歩いて来て、汲んではまた何時間もかけて徒歩で帰る日課。。。
そう言えば、1983年~85年にかけて、エチオピアでは水不足に伴う大飢饉が訪れ、約100万人の人達が亡くなった。あまりの悲惨な状況に、ボブ・ゲルドフが提唱し、イギリス人アーティスト達が集まって BAND AID なるグループ名で "Do They Know It's Christmas?" と言う歌をチャリティーとして作りその売り上げを寄付したが、後にマイケル・ジャクソン達が "We Are The World"、ひいては東日本大震災の時の "花は咲く” や "Let's Try Again" へと波及した複数のミュージシャン達によるチャリティー、その発端がエチオピアの水不足だったなと。
そして今年のエチオピアは、ラニーニャ現象の為にその大飢饉の再来かと言われている最悪の水不足が起こっているとのこと。南アも水不足ではあるが、この比ではないような気がする。

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エチオピア北部では、エチオピア正教の教会を数多く見学して来た。
キリスト教徒が一番多いとは言え、エチオピアにもイスラム教徒は大勢いる。
田舎の町などには、結構モスクが多い印象を受けた。田舎にはただ高い建物がないからそう感じたのか、やはり貧しい農村部にはモスリムが多いのか。。。???






ソド Sodo の町に到着。お昼を食べることに。
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イメージ 19"WOLAYITA" と言うレストランで。

フィッシュカツレツ
95ブル(約518円)


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ペンネアラビアータ
75ブル(約431円)
にゅるにゅる茹で過ぎのスパゲティに懲りていたので
迷わず短麺に。これまた柔らかいが、ペンネなので未だ何とか食べられるかと。



一路ドルゼ族の住んでいるドルゼの町を目指す。

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大勢の人が居る。イメージ 22
何事?と思ったのだが、正装している人も多く、結婚式の為、バスで大勢のお客さんを運んで来たところのよう。そして野次馬。


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皆、道路でも踊っていた。
南アの黒人達の結婚式の風景に少し似ているかも?


この後、ドルゼの村を見学。その様子は<22>で。