一昨年、初めてこの大会を案内してくれた南ア人の友人が、今年は関係するとのことで、観に行くことに。
南アの白人の多くは、イギリス植民地時代の末裔が多く、スコットランドの血を引いている人達も多いことから、このような催しが始まった。
南ア各地から集まったチームがバグパイプなどの演奏を競い合う。

この日は、あいにくの雨模様だったのだが、それでも大会は行われており、何人もの審査員のおじさん達が怖い顔をして審査表をつけていた。
この動画をスコットランド人の友人に見せたところ、黒人男性がバグパイプを演奏しているのを見るのはやはり違和感があるとのこと。このチーム編成は南アならではと言うことなのだろう。
最初の大会は、スコットランド系の一家により1963年に開催され、当時の Amanzimtoti エリアは、未だ開発の進まない農場地帯だったので、Amanzimtoti Agricultural Show の意味合いもあった。
1976年から、ライオンズクラブが関与し、現在の Hutchison Park で開催されるようになったもので、毎年1万人以上の人出となり、南半球で最大の規模を誇っているのだそう。
前に来た時には見なかったダンスを見学。

こちらも競技の真っ最中。
同じ曲で、各3人のチームが次々と踊って審査を受ける。スコットランドのダンスと似てはいるが、手の動きなどが異なり、白いエプロンにアイルランドのシンボルである緑色のクローバーをつけ、アイリッシュの人達によるダンスとのこと。
この日は、3連休の初日で、2泊3日でレソト方面に旅行に行く予定をしていた為、ちょっと顔を出しただけで失礼させてもらったので、参加全チーム500人によるフィナーレの圧巻の演奏などが見られなかったのは残念だった。
以前のその500人によるフィナーレの様子は こちら
南アの白人の多くは、イギリス植民地時代の末裔が多く、スコットランドの血を引いている人達も多いことから、このような催しが始まった。
南ア各地から集まったチームがバグパイプなどの演奏を競い合う。

この日は、あいにくの雨模様だったのだが、それでも大会は行われており、何人もの審査員のおじさん達が怖い顔をして審査表をつけていた。
この動画をスコットランド人の友人に見せたところ、黒人男性がバグパイプを演奏しているのを見るのはやはり違和感があるとのこと。このチーム編成は南アならではと言うことなのだろう。
最初の大会は、スコットランド系の一家により1963年に開催され、当時の Amanzimtoti エリアは、未だ開発の進まない農場地帯だったので、Amanzimtoti Agricultural Show の意味合いもあった。
1976年から、ライオンズクラブが関与し、現在の Hutchison Park で開催されるようになったもので、毎年1万人以上の人出となり、南半球で最大の規模を誇っているのだそう。
前に来た時には見なかったダンスを見学。

こちらも競技の真っ最中。
同じ曲で、各3人のチームが次々と踊って審査を受ける。スコットランドのダンスと似てはいるが、手の動きなどが異なり、白いエプロンにアイルランドのシンボルである緑色のクローバーをつけ、アイリッシュの人達によるダンスとのこと。
この日は、3連休の初日で、2泊3日でレソト方面に旅行に行く予定をしていた為、ちょっと顔を出しただけで失礼させてもらったので、参加全チーム500人によるフィナーレの圧巻の演奏などが見られなかったのは残念だった。
以前のその500人によるフィナーレの様子は こちら
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