ガーナのエルミナにある魚市場を見学した後、セント・ジョージ要塞へ。

西アフリカの海岸沿い500キロの間にいくつもの要塞がある。そのほとんどが17世紀に、イギリス人、オランダ人、デンマーク人、フランス人、ドイツ人、ポルトガル人、スウェーデン人、プロシア人による覇権争いで、その要塞の所有者も変わって行き、18世紀末には、37もの要塞が海岸沿いに出来た(Lonely Planet から) or 60にも及ぶ交易所が出来たが現存は3分の1(ユネスコ世界遺産から)。
この500キロの地域は他の湿地帯よりも船がつけやすく、内陸とも行き来がしやすい立地からで、岩場は要塞造りにも向いていた。もともとは金、象牙、スパイス、ヤシ油、ゴムの売買の為の商用だったが、他のヨーロッパ各国から攻め入られない為の要塞として、そして後には奴隷売買の拠点となった。
セント・ジョージ要塞と、ケープ・コースト城塞が、ガーナ最大の黒人奴隷の交易所となり、売買されたアフリカ人奴隷の数は1500万人以上に達した。

セント・ジョージ要塞 St. George's Castle/Fort

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ユネスコの世界遺産。
1482年にポルトガルによって 「ソ・ジャオ・デ・ミナ」 として建造され、1637年からはオランダ東インド会社のオランダ人によって 「コンラド城塞」 となり、イギリス人を追い出した建物は最初の奴隷用監獄とした。
西アフリカで一番古い。


蛇足だが、別のイギリス人が所有していた 「コマンタン砦」 をオランダ人が取ったのだが、オランダが所有していた北米のニューアムステルダム植民地をイギリス人に奪われてニューヨークとされた報復として、その 「コマンタン砦」 を1665年に 「アムステルダム城塞」 と名付けるなど、当時は諸外国が熾烈な争いをしていた。1872年からはイギリス人によって現在の 「セント・ジョージ要塞」 となった。ガーナ国内で最大の奴隷交易所。

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城塞の中央にある建物が、もともとポルトガルの教会で、次いでオランダのプロテスタント教会、商取引場、学校、そして現在は博物館として展示物が置かれている。


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スロープは、城塞の建物の壁の補強の為に造られたものだったが、現在は手すりが取り付けられ、警察官のトレーニング場ともなっている。








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城塞内の井戸。
ポルトガル人が、攻め入って来たイギリス人から 
逃げる前に、毒を入れた井戸。







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この空間に、400人の女性の奴隷が詰め込まれた。

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赤い煉瓦は、ポルトガル時代のもので、その上にあるやや黄色みを帯びた煉瓦はオランダ時代のもの。



逃げようとすると、鎖でつながれ、
水と食べ物などを与えてもらえなかった。







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最大の部屋の入口はこんなに小さい。
最大と言っても、決して広いわけではないが、そこに150人の奴隷が詰め込まれ、換気口はこの窓のみ。
雨水が入って汚物などを流すように溝が造られている。



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💀マークが付いている牢獄には、小さな窓しかなく、出入り口のこの扉も閉ざされるので、ほとんど真っ暗。
非常に不衛生で、生きたまま出る人はほとんどいなかったとか。。。






連れて来られた奴隷の女性が妊娠していた場合、出産させて親から引き離し、白人につかえる為の教育が施された。また、子供は奴隷の数 (=売買の数) にはカウントされなかった。

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総督は、このバルコニーから、中庭に連れて来られた奴隷を眺め、時には選んでいた。




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男性の奴隷達250人は、2~3カ月ここに留め置かれ、奴隷交易船がやって来ると、鎖につながれたまま、狭いこの扉から横歩きで海岸に出て船に詰め込まれ、北中南米へと売られていった。
所謂この扉は 「Dorr of No Return」



一方、総督は・・・
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総督の窓からは海が広く見渡せ、バルコニーの下には Door of No Return。

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最上階の総督の部屋からは海に逃げられるよう通路が造られている。
右端はこの要塞の入口なのだが、オランダ風の跳ね橋となっている。






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見張り塔のようだが、イギリスが植民地としていた時代に、ここにアシャンティ王国の王様である Prempeh 一世をここに4年間幽閉され、後には、兵隊の訓練施設ともなった。








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城塞からは、左に大西洋、大砲と大砲の間に魚市場が広がる。

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今も未だ当時の大砲が置かれている横で、大勢の人が地引網を引いているなど、平和な様子が見られるが。





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セント・ジョージ要塞が陥落した時のバックアップの為の城塞がすぐ反対側の丘にあるので行ってみた。
内部は公開されていない。








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正面にセント・ジョージ要塞、そして広がる大西洋を見ることが出来る。








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要塞に行く前に訪れた魚市場を反対側から眺めてみる。







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すると、我々が訪れた市場は実はもっと 
奥にまであり、その先には造船所なども。







道路脇で、何かを売っている。良く良く見ると、ヤシの葉に綺麗にくっつけられた蟹さん!

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近くのお店でお昼を食べることに。


Gulder なるビールがあったので CLUB と共に。
ツボルグほどではないもののかなり苦め。





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お馴染みとなって来たフフと、お肉のソースを。
結構山羊のお肉が硬かったので、おこぼれに預かろうとやって来たお店の犬と猫にそれぞれお裾分けも。


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ガイドさんが食べていた野菜系のシチュー。
ガイドさんが我々にお裾分けしてくれたのだが、
実はこちらの方が美味しかった!




昼食後は、もう一カ所の要塞であるケープ・コーストに。その様子は<12>で。