この日は、エルミナの Volta 魚市場とセント・ジョージ要塞を見学。そしてもう一つの要塞であるケープ・コーストに向かった。
西アフリカにある50もの要塞 (これはガイドさんの話、ユネスコの本には60、Lonely Planet には37) の9割が、金の貿易の為にガーナにあり、すでに訪れたセント・ジョージ要塞、このケープ・コースト、アクラのクリスチアンボーグの3つの保存状態が良い。
ケープ・コースト要塞

ユネスコの世界遺産。
もともとは1471年にやって来たポルトガル人が 「Cabo Corso」 と名付けていたのだが、1652年にスウェーデンに 「カルロス・ベルグ」 と呼ばれ、1658年にデンマークに、1661年にオランダに、そして1664年に英国統治となり、「ケープ・コースト」 と名付けられるなど、目まぐるしい覇権争いが繰り広げられた。1877年にアクラが首都となるまで、英国が植民地とした2世紀もの間、植民地政府の本拠地とした。
中に博物館がある。
今でも売られているオランダの BOLS がここにあるとは。
ロゴが全然変わっていない。

船に、まるで家畜状態で、どのように奴隷が船底などにすし詰めになって運ばれたかがわかる。

男性の奴隷を入れておく部屋。
とても狭い部屋に200名が押し込まれ、灯りと通気口はこの3つの穴だけ。酸欠になるのではないか?と思えるぐらい。こんな部屋が5室もある。

2週間~3カ月もの間、この部屋に閉じ込められ、一日に1~2回の水と食事が与えられた。
この溝は、1974年に発掘されたもので、捕えられていた奴隷達の汚物を流す溝。
150年もの間、ずっと使い続けられていた為、30センチもの汚物が部屋に堆積していたとのこと!

2部屋目。
ここは発掘されていないままなので、
我々は堆積物の上に乗っていることになる。

3部屋目。
病人や虚弱な人は船に乗せない。
その人達を運び出すトンネルがあったのだが、1832年に英国が閉じた。
地元信仰に基づいた祭壇が置かれていたが、撤去され、1990年代に復活した。

英国に送られた黒人のフィリップが、1741年に最初の黒人の司祭として西アフリカに戻って来た。司教となり、1816年に75歳で亡くなったフィリップのお墓。


この部屋は罰を与える為の部屋。
今は天井に電気が付き、入口からも灯りが入るが
投獄されていた人達は、入口もふさがれ、全くの暗闇の中で過ごさなければならなかった。

やはりここにもあるこの扉・・・

鎖につながれ、奴隷達がここを通って船に乗せられ、大西洋を渡って行った。
その扉の向こうは、今は漁師達が網を干すなどしている平和な光景だが。

そして外側にはギャグでこのように書かれていて、我々もここを再び通って要塞へ戻る。

セント・ジョージ要塞とは異なり、このケープ・コーストには植民地の総督は居住してはいなかったが、彼の部屋はあり、階下のすし詰の奴隷部屋とは全く違う素晴らしいオーシャンビューが広がる。

はるか遠くのニジェールやブルキナファソからも奴隷が送られて来た。アフリカの奴隷の子孫である、ミシェル・オバマさんもここを訪れている。

小高い丘の上にあるのは、Fort William (通称ダゾタワー) 総督の執務室があり、歩哨が、手旗で合図を送っていた。
Wesley Methodist Cathedral 1835年に建てられたガーナで一番古いメソジスト系の教会。


Anglican Diocese of Cape Coast 1859年に建てられた。



道路沿いにキャッサバの粉を売っているので、作っている所にちょっとお邪魔させてもらった。

女性達で集まって、キャッサバの皮むきをしていたのだが、とてもフレンドリーな女性達。
何処から来た?と色々我々が質問責めになり、あげくの果てには我々のガイドさんの携帯番号を教えてくれと、逆ナン?していた(笑)
生のキャッサバも味見させてくれた。まるで生の栗のよう。

向いたキャッサバは水洗いしてあく抜きし、砕いて粉末にして袋詰めし、売っている。それが毎日のように食べるフフになる。

勿論、剥いた皮も無駄にはしない。
干して家畜の飼料に。

ホテルに戻り、晩御飯を。

鯛のムニエルに白いご飯。


左は、実はパームオイルをベースにしたタレだったのだが、食べるとまるで鰹節のようなお味。ちょっとワイルドな錦松梅と言ったところ。
右は、食べるラー油って感じかな。
前夜にレストランに来た時、他のお客さんが注文した為、売り切れだった海老。翌日はある?と聞くと、あるとマネージャー風の人。なら翌日も食べに来るから絶対に仕入れておいてねと言い、大丈夫だよ!との返だった。
しかししかし、行くと、、、入荷してませんと。。。マネージャーに昨日言ったじゃん!嘘つきだ~と言ったが、ゴメンネと。朝訪れた市場に色々と売っていたので、我々が材料を買って来てホテルの厨房に作ってもらえば良かったかも・・・ 後日ガイドさんにこのやりとりを言うと、大丈夫と言うような言葉や約束は、西アフリカでは信じちゃダメだよと(笑) 海老はこの日は食べられなかったが、鯛もイカも美味しかったので文句はなかったのだが。
西アフリカにある50もの要塞 (これはガイドさんの話、ユネスコの本には60、Lonely Planet には37) の9割が、金の貿易の為にガーナにあり、すでに訪れたセント・ジョージ要塞、このケープ・コースト、アクラのクリスチアンボーグの3つの保存状態が良い。
ケープ・コースト要塞

ユネスコの世界遺産。
もともとは1471年にやって来たポルトガル人が 「Cabo Corso」 と名付けていたのだが、1652年にスウェーデンに 「カルロス・ベルグ」 と呼ばれ、1658年にデンマークに、1661年にオランダに、そして1664年に英国統治となり、「ケープ・コースト」 と名付けられるなど、目まぐるしい覇権争いが繰り広げられた。1877年にアクラが首都となるまで、英国が植民地とした2世紀もの間、植民地政府の本拠地とした。

今でも売られているオランダの BOLS がここにあるとは。
ロゴが全然変わっていない。

船に、まるで家畜状態で、どのように奴隷が船底などにすし詰めになって運ばれたかがわかる。

男性の奴隷を入れておく部屋。
とても狭い部屋に200名が押し込まれ、灯りと通気口はこの3つの穴だけ。酸欠になるのではないか?と思えるぐらい。こんな部屋が5室もある。

2週間~3カ月もの間、この部屋に閉じ込められ、一日に1~2回の水と食事が与えられた。
この溝は、1974年に発掘されたもので、捕えられていた奴隷達の汚物を流す溝。
150年もの間、ずっと使い続けられていた為、30センチもの汚物が部屋に堆積していたとのこと!

2部屋目。
ここは発掘されていないままなので、
我々は堆積物の上に乗っていることになる。

3部屋目。
病人や虚弱な人は船に乗せない。
その人達を運び出すトンネルがあったのだが、1832年に英国が閉じた。
地元信仰に基づいた祭壇が置かれていたが、撤去され、1990年代に復活した。

英国に送られた黒人のフィリップが、1741年に最初の黒人の司祭として西アフリカに戻って来た。司教となり、1816年に75歳で亡くなったフィリップのお墓。


この部屋は罰を与える為の部屋。
今は天井に電気が付き、入口からも灯りが入るが
投獄されていた人達は、入口もふさがれ、全くの暗闇の中で過ごさなければならなかった。

やはりここにもあるこの扉・・・

鎖につながれ、奴隷達がここを通って船に乗せられ、大西洋を渡って行った。


そして外側にはギャグでこのように書かれていて、我々もここを再び通って要塞へ戻る。

セント・ジョージ要塞とは異なり、このケープ・コーストには植民地の総督は居住してはいなかったが、彼の部屋はあり、階下のすし詰の奴隷部屋とは全く違う素晴らしいオーシャンビューが広がる。

はるか遠くのニジェールやブルキナファソからも奴隷が送られて来た。アフリカの奴隷の子孫である、ミシェル・オバマさんもここを訪れている。

小高い丘の上にあるのは、Fort William (通称ダゾタワー) 総督の執務室があり、歩哨が、手旗で合図を送っていた。
Wesley Methodist Cathedral 1835年に建てられたガーナで一番古いメソジスト系の教会。


Anglican Diocese of Cape Coast 1859年に建てられた。



道路沿いにキャッサバの粉を売っているので、作っている所にちょっとお邪魔させてもらった。

女性達で集まって、キャッサバの皮むきをしていたのだが、とてもフレンドリーな女性達。
何処から来た?と色々我々が質問責めになり、あげくの果てには我々のガイドさんの携帯番号を教えてくれと、逆ナン?していた(笑)
生のキャッサバも味見させてくれた。まるで生の栗のよう。

向いたキャッサバは水洗いしてあく抜きし、砕いて粉末にして袋詰めし、売っている。それが毎日のように食べるフフになる。

勿論、剥いた皮も無駄にはしない。
干して家畜の飼料に。

ホテルに戻り、晩御飯を。

鯛のムニエルに白いご飯。

イカのグリルと、Jollof と言う辛目の炒飯風

左は、実はパームオイルをベースにしたタレだったのだが、食べるとまるで鰹節のようなお味。ちょっとワイルドな錦松梅と言ったところ。
右は、食べるラー油って感じかな。
前夜にレストランに来た時、他のお客さんが注文した為、売り切れだった海老。翌日はある?と聞くと、あるとマネージャー風の人。なら翌日も食べに来るから絶対に仕入れておいてねと言い、大丈夫だよ!との返だった。
しかししかし、行くと、、、入荷してませんと。。。マネージャーに昨日言ったじゃん!嘘つきだ~と言ったが、ゴメンネと。朝訪れた市場に色々と売っていたので、我々が材料を買って来てホテルの厨房に作ってもらえば良かったかも・・・ 後日ガイドさんにこのやりとりを言うと、大丈夫と言うような言葉や約束は、西アフリカでは信じちゃダメだよと(笑) 海老はこの日は食べられなかったが、鯛もイカも美味しかったので文句はなかったのだが。
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