(うだうだしていたら、西アフリカ旅行記が一ヶ月も放置状態・・・ 覚えているうちにアップせねばと💦)

ガーナのクマシと言う町や郊外を観光。
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朝食はビュッフェスタイルで、ほぼ同じようなメニューなのだが、このホテルではカットしたココナッツジュースが。道端で売っているのを以前に飲んだが、ここのは冷えているので、ずっと美味しく感じる。



現在、クマシの人口は300万人で、10の民族が住んでおり、アカンス族が大多数。その中に、アシャンティ族も入る。
朝食後は、クマシの中心部から18キロ離れたアシャンティ族の村へ。
クマシは、かつてアシャンティ族によるアシャンティ王国があった所で、その伝統的建造物群が、ユネスコの世界遺産ともなっている。




EJISU と言う町の BESEASE 寺院 を見学。

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これは1850年に建てられたもので、10残っている建物のひとつ。










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ロの字型に建物に囲まれ、中央部分が中庭となっている。シロアリ対策から粘土や泥で出来た家となっていて、天井ははヤシの葉で覆われている。
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17世紀後半まではいくつかの弱小国家に分かれていたが、17世紀末にそのひとつであるクマシの首長が連合王国を築き、海岸に奴隷と採れた金を送り、イギリス軍から銃を得る交易を独占し、西の象牙海岸(現在のコートジボワール)から東のトーゴまでに勢力を拡大していた。アシャンティ族の言語は1つだけで、首長は複数いるものの王様は一人なので、国として統治しやすかった。

イメージ 5瓶が置かれている石の上に、催事には生贄の羊の頭が乗せられる。壁にかかっているのは、その羊の骨。
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上段と下段にモチーフが施されているが、それぞれ名称と意味があり、アシャンティ族の教え、モラル、タブー、哲学などが描かれているとのこと。この長老の方が説明しているモチーフは、鶏が2羽戦っているのだが、食べる物は同じなのに何故戦うのか?と言う意味とのこと。

17世紀から、20世紀初頭までの建築遺跡であり宗教遺産でもあるが、アシャンティ族がイギリス軍と戦い、1901年に降伏したが、神殿や宗教的建造物の多くは破壊されていたとのこと。残念なことに、そのほとんどの像や秘宝は、大英博物館などに収蔵されている。

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我々がここを訪れているのを見た大きな家の人のおつき?の人が、ローカルガイドさんを呼びに来た。何事?と思っていると、実はここの寺院の所有者でここ一帯の首長である人が、我々を家に招き入れてくれることに。
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可愛いお孫さんとカジュアルな部屋で会ったのだが、別の部屋は玉座とまではいかないが、謁見の間もあった。


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クリスマスイブだったので、クリスマスツリーにみたてて、風船で飾り付けをしていた。

それにしても、ここの子供達は可愛い。
我々を見るや否や、一目散に駆けてきたので、お金かお菓子をねだられるのかと身構えてしまったのだが、全くそんなことはなく、ただただ笑顔を振りまいて写真を撮ってくれ~と寄って来てくれた。
邪推してしまって申し訳なかった。



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現在、アシャンティ族の人達は、キリスト教徒だったりモスリム教徒だったり。ただし、そこに古来の土着信仰が加わっている。
お葬式の場合、友人達は黒色を、家族は赤色の服を着る。お葬式は1週間続き、土曜日に始まり、費用は友人達が寄付してくれる。日曜に教会に行き、食べたり飲んだり。そして月曜は家族だけとなるのだそう。


ケンテ織と言う織物で有名な ボンウィレ Bonwire 村 へ。

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素材はシルク、コットン、レーヨンなど。









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60セリ~400セリ(約1620円~10800円)と幅がある。
黒字に金色の模様は、アシャンティ族の王様のシンボルでもある 「黄金の床几」 を現している。


しかし、しかし、クマシは本当に車の渋滞が酷い。もともと酷い状態に加え、クリスマス前で大勢の人達が買い物などに出て来ている。
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そして渋滞となれば、商売にいそしむ人達も。

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ならばと、お姉さんからひとつ駄菓子を買ってみた。
んー、単なる揚げたスナックだった・・・








大きなロータリーのある所では、北部の田舎からクリスマス用にと山羊を売りに来た人達が大勢。
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美容院も、赤いTシャツを着た美容師さん達が、クリスマスなのでおめかししようと言う女性の髪を結ってあげていた。






Jubilee Museum
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歴代の王様たちの椅子や写真、剣などが展示してあった。









王様は、象牙の上に足を乗せており、裸足で地面にふれると王様でなくなる。王様にかける傘の上のシンボルで、戦いの指示、伝統を守れなどの意味を示し、パイナップルは自由の為のデモクラシーを意味する。
王様のシンボルである、前述の 「黄金の床几」 をイギリス側が差し出すように求めたが、ブロンズの上に金箔をほどこしたレプリカを献上したところ、それは戻された。現在その本物はガーナにあり、5年1度公開され、最近では2014年に公開されたとのこと。
王様が亡くなったら、親族の髪や爪を壺に一緒に入れる。
通過は、貝を使ったカオリ Cowrie と言うもので、セディエと言われていたが、それが現在の通貨セリとなった。
王様には王妃が何人もいるが、男性が王様の料理を調理し、30分前に試食をして毒見をしていた。

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このドラムは面白い。
この枝でたたくのではなく、表面の皮をひっかくようにすると、まるでヒョウがうううう・・・と脅すような鳴き声にそっくり。
森に入って、これを鳴らすことで、敵から身を守る為なのだそう。





Kentish Restaurant と言うお店でお昼を。
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左の付け合わせの豆はカカビーンズと言うもので、まるで鰹節のような味がする。横のプランテーンは、良く火が通っていてクリーミーで甘くて美味しい。

この後は、別の博物館や、呪術師?のセレモニーなどを見学。その様子は<16>で。