ベナンのナティティングーを後にして、アボメイまでの450キロを移動する。

乾季のせいか、観賞用の花々を栽培する余裕もないのか、あまり西アフリカでは花を愛でる機会がなかったのだが、ホテルのそばで見かけたこの光景にはちょっとほっとさせてもらえた。
我々は西アフリカを陸路で国境越えするのにビザはもとより、色々と手続きが必要だが、西アフリカ諸国は、西アフリカ諸国経済共同体 ECOWAS があり、 西アフリカの人達は黄熱病の予防接種の証明書さえあれば自由に行き来が出来るとのこと。もっともローカルな人達はその証明書すら提示せずにスタスタと国境と越えているが。
このトラックも、あちこち行き来しているもよう。
左上:ベナン
左下:ガーナ
右上:インドっぽいが、多分ニジェール
右下:トーゴ
少し走ると、道路脇に白い塊が点在している。

なんと、綿花が落ちていた。

山盛り綿花を乗せたトラックが続く。
どおりで落ちるわけだ。
輸出品の80%がこの綿花とのこと。

井戸で水を汲んでいるところ。
西アフリカ諸国は貧しいが、マダガスカルやエチオピアのように水を求めて何十キロもを往復して、水汲みだけで1日が終わってしまうような大変さはないようで、水があるだけでも恵まれているなと。


道沿いにはお墓も。
同じ村の人でも、キリスト教徒もいればイスラム教徒もいたり、伝統的宗教のブードゥー教の信者もいて、仲良く共存している。
お墓は、宗教に関係なく建てられているとのこと。
途中の町にある外国人が使うようなホテルのレストランでランチを。
この日は移動に時間がかかるので、クイックランチにしたが、いつもの街道沿いの地元の人達の屋台?レストラン?とは目先が変わったお昼となった。


麺の茹で方云々で文句を言っている次元ではないので有難くいただいた。
ローカルな道の移動は、その土地土地の人達の様子を垣間見ることが出来て楽しい。

鶏さんがこれでもかと。



山羊さんが乗っていたり、膝の上に乗せられていたり。
都市部では禁止されている野生の動物達の狩や売買も、田舎の道沿いでは見られる。


この男女が持っているのはネズミ系?

・・・とこちらはトカゲ!!
勿論、食用目的。
アボメイの町に近づいて来た。アボメイは、ダホメー王国の首都でもあった。

機関車が走っていた。

それにしても、トーゴ同様ここはバイクが多い。

お揃いの上着を着ているのは、バイクタクシー屋さん。
地域の会社によって、上着の色やデザインが異なる。

この日は12月30日。
大晦日や新年にそなえ、あちこちで女性達が綺麗に髪を編んでもらっていて、街角美容院は大流行り。
ベナン唯一の世界遺産にもなっているアボメイ(アボメー) Abomey の王宮を見学。

アボメイは、フォン族によるダホメー王国時代の首都。17世紀初頭から3世紀に渡り、12人の王様が支配。それぞれ40ヘクタールの敷地に王宮を造ったが、現存しているのはゲゾー王とその息子のグレレ王の王宮の2つで、離れた北にアカバ王が王宮を建てた。
不勉強にも、西アフリカの旅行に来る前までは、奴隷貿易は西洋列強が黒人を捕まえて売買していたと思っていたのだが、実は地元の黒人が戦争などの捕虜とした黒人を奴隷としていた素地があり、そこに白人がその奴隷を海外に輸出すると言うビジネスを持ち込んだ。
このアボメイのフォン族は、奴隷貿易においてその白人と手を組み、富を得た人達でもある。
この大砲一門につき、美女21人か頑丈な男性15人が代価として支払われた。

城壁のオリジナルが未だ一部だけ残っていた。
王宮は博物館となっているのだが、あいにく写真撮影不可。(以下画像はネットから拝借。)

ガーナのアシャンティ族と同様のスツール黄金の床几のモチーフが。

敵の頭蓋骨を足にした玉座

この画像の建物だったかははっきり記憶していないが、このように非常に低い建物がお墓。
1889年にグレレ王が埋葬された際、伝統にのっとって彼の41人の妻達も一緒に生き埋めにされた。
その霊廟の土壁には、妻達の血、生贄の動物の血、金の粉などが混ぜ込まれたとか。
我々の当初の予定では、現在の王様に謁見できることになっていたのだが、その日の王様の都合で謁見は叶わないことになった。
以前のテレビ番組で、この王宮に観光で訪れたアフリカ系アメリカ人やアフリカ系中米人の学生達3人が、自分達の先祖のルーツを知るにつけ心を痛め、王様と謁見する際にも2人はそばに行きたくないと、そして1人は今でも自分達の先祖に与えた苦しみを許せないと直接王様に言っていたことを思い出した。。。
王様謁見の代わり、ブードゥー教の仮面のダンスを観に行くことに。その様子は<29>で。

乾季のせいか、観賞用の花々を栽培する余裕もないのか、あまり西アフリカでは花を愛でる機会がなかったのだが、ホテルのそばで見かけたこの光景にはちょっとほっとさせてもらえた。

このトラックも、あちこち行き来しているもよう。
左上:ベナン
左下:ガーナ
右上:インドっぽいが、多分ニジェール
右下:トーゴ


なんと、綿花が落ちていた。

山盛り綿花を乗せたトラックが続く。
どおりで落ちるわけだ。
輸出品の80%がこの綿花とのこと。

井戸で水を汲んでいるところ。
西アフリカ諸国は貧しいが、マダガスカルやエチオピアのように水を求めて何十キロもを往復して、水汲みだけで1日が終わってしまうような大変さはないようで、水があるだけでも恵まれているなと。


道沿いにはお墓も。
同じ村の人でも、キリスト教徒もいればイスラム教徒もいたり、伝統的宗教のブードゥー教の信者もいて、仲良く共存している。
お墓は、宗教に関係なく建てられているとのこと。
途中の町にある外国人が使うようなホテルのレストランでランチを。



麺の茹で方云々で文句を言っている次元ではないので有難くいただいた。
ローカルな道の移動は、その土地土地の人達の様子を垣間見ることが出来て楽しい。

鶏さんがこれでもかと。



山羊さんが乗っていたり、膝の上に乗せられていたり。
都市部では禁止されている野生の動物達の狩や売買も、田舎の道沿いでは見られる。


この男女が持っているのはネズミ系?

彼が持っているのは、何か良くわからないが、
すでに開きになっている。
すでに開きになっている。
・・・とこちらはトカゲ!!
勿論、食用目的。
アボメイの町に近づいて来た。アボメイは、ダホメー王国の首都でもあった。

機関車が走っていた。

それにしても、トーゴ同様ここはバイクが多い。

お揃いの上着を着ているのは、バイクタクシー屋さん。
地域の会社によって、上着の色やデザインが異なる。

この日は12月30日。
大晦日や新年にそなえ、あちこちで女性達が綺麗に髪を編んでもらっていて、街角美容院は大流行り。
ベナン唯一の世界遺産にもなっているアボメイ(アボメー) Abomey の王宮を見学。

アボメイは、フォン族によるダホメー王国時代の首都。17世紀初頭から3世紀に渡り、12人の王様が支配。それぞれ40ヘクタールの敷地に王宮を造ったが、現存しているのはゲゾー王とその息子のグレレ王の王宮の2つで、離れた北にアカバ王が王宮を建てた。
不勉強にも、西アフリカの旅行に来る前までは、奴隷貿易は西洋列強が黒人を捕まえて売買していたと思っていたのだが、実は地元の黒人が戦争などの捕虜とした黒人を奴隷としていた素地があり、そこに白人がその奴隷を海外に輸出すると言うビジネスを持ち込んだ。
このアボメイのフォン族は、奴隷貿易においてその白人と手を組み、富を得た人達でもある。
この大砲一門につき、美女21人か頑丈な男性15人が代価として支払われた。

城壁のオリジナルが未だ一部だけ残っていた。
王宮は博物館となっているのだが、あいにく写真撮影不可。(以下画像はネットから拝借。)

ガーナのアシャンティ族と同様のスツール黄金の床几のモチーフが。

敵の頭蓋骨を足にした玉座

この画像の建物だったかははっきり記憶していないが、このように非常に低い建物がお墓。
1889年にグレレ王が埋葬された際、伝統にのっとって彼の41人の妻達も一緒に生き埋めにされた。
その霊廟の土壁には、妻達の血、生贄の動物の血、金の粉などが混ぜ込まれたとか。
我々の当初の予定では、現在の王様に謁見できることになっていたのだが、その日の王様の都合で謁見は叶わないことになった。
以前のテレビ番組で、この王宮に観光で訪れたアフリカ系アメリカ人やアフリカ系中米人の学生達3人が、自分達の先祖のルーツを知るにつけ心を痛め、王様と謁見する際にも2人はそばに行きたくないと、そして1人は今でも自分達の先祖に与えた苦しみを許せないと直接王様に言っていたことを思い出した。。。
王様謁見の代わり、ブードゥー教の仮面のダンスを観に行くことに。その様子は<29>で。
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