マプト市内観光の続き。

要塞 Fortaleza de Nossasenhora へ。


もともとオランダがここに砦を構えたが、19世紀半ばにポルトガルが現在の物に造り替えた。
1974年4月25日独立を果たした。その功労者であるングニャーナ Ngungunhane 氏は1895年に捕らえられ、遺体は現在この棺におさめられている。毎年、記念日になると、モザンビーク全土から全部の首長がここに集まって来るとのこと。

通称レッドストリートとも言われる Rua do Bagamoyo は、今現在もナイトライフの通り。
マプト鉄道駅

駅舎の前のロータリーには、フランス大統領のマクマホン像(1814~1890)が建つ。
この駅は、1908~1910年に、同じくエッフェル氏が建てたもので、ビクトリア様式の大理石バルコニーや高さ20メートルの銅製のドーム型の屋根が特徴となっている。

海外の駅と言うと、どうしても治安が不安なのだが、ここは6:30~22:00までオープンしており、安全とのこと。





この駅は、世界の駅舎ベスト10に選ばれているとのこと。
そして驚いたことに、日本の金沢駅もそのひとつに選出されていた!!
金沢には何度も行ったがいつも車だったので、駅がそんなに素敵になっているとは。新幹線開通のお蔭?
中央市場 Mercado Central
1901年からやっていて、スーパーマーケットよりもお安い。生鮮として、野菜や魚介類は売っているが、お肉は個別のお肉屋さんに行って買うのだそう。


美味しそうな魚介類もふんだんに。

名物のカシューナッツも各種。
後で空港でも買い足したのだが、断然こちらの方が美味しくてお安かった。もっと買っておくべきだった。
そしてお姉さんが、おまけをいっぱいくれたのも嬉しかった。


南アのように黒人女性はまるまる鬘を被るのではなく、モザンビークの女性はエクステなどがお好みのよう。
モザンビークの資源は天然ガス、お茶、タバコ、カシューナッツなどで、それらをヨーロッパや日本などに向けて輸出している。天然ガスは北部ペンバの辺りにある為、2年前から南部と北部でもめている。
IMF 国際通貨基金により、2年前は1米ドル=30メティカルだったのが、現在は1米ドル=72メティカル。
物価も上がっており、以前はパンが2メティカルだったが今は11メティカル、とのこと。
冷凍した鶏肉でキロ当たり400メティカル(約735円)で、これは干物の魚(干し鱈など)よりも高い。


治安の宜しくないマッファララと言うエリア。
マプトの郊外で、革命活動の誕生地でもある。

少数民族の住むエリア。
マラリア蚊が非常に多く、去年12月~今年3月までで200人が亡くなっている。
蚊帳を政府が提供しているそうだが・・・
かつては、奥さんは7人までOKな一夫多妻が認められていたが、現在はイスラム教徒でも一夫一妻制と定められている。
現在、HIV感染者はかつての17%から11%へと減少して来ている。失業率は20%、文盲率は50%、2004年から義務教育が始まったとのこと。
観光を終え、空港へ。5年前に出来たマプトの空港は、中国資本によるもの。
空港の手荷物検査場での出来事。
宿六には男性係員が、私には女性係員がついて、それぞれの手荷物を検査。私の鞄の上部に入れていた飲みかけのペットボトルの水には目もくれず、その下に入れていたカメラに反応。高価と思ったようで、いきなり米ドルの現金はないか?と聞いて来た。実際にそうなのだが、お財布は全て宿六が持っていたので、夫が持っていて私はないと答えると、ガッカリした様子。一方、宿六担当の係員は、宿六の財布を見せろと言っていた。夫がその必要性について問いただしているところ、上官のような人がにこやかにやって来て、我々は日本人だと言うと、鞄の中をチェックする必要もないから行って良し、と言ってくれた。しかし担当官は諦めきれないのかしつこく宿六の財布を見せろと強要。分けて現金を持っていたので、ほんの少しのモザンビークメティカルの現金と南アランドしか入れていない財布を見せると、これまたガッカリしてようやく諦めた。
外国人と見ると、「Money, Money」 とここまであからさまに言って来るとは。。。
検査官に見向きもされなかったモザンビークメティカルのお札。裏面には、南アのように5種類の動物が描かれている。モザンビークのお札もライオン・ゾウ・バッファローは南アと一緒だが、ヒョウとサイの代わりにキリンとクドウだったかな?アンテロープだった。


そんな検査官も欲しがらない現金を使い切るべく、空港のラウンジでモザンビークのビールを堪能。



マプト 15:35発 SA145便 ヨハネスブルグ 16:40着
ヨハネスブルグ 19:00発 SA579便 ダーバン 20:05着
わずか3泊4日のモザンビーク旅行だったが、楽しめた。
(実は、その1週前に行ったゲームリザーブで、アフリカダニに噛まれ、アフリカダニ熱をモザンビークに到着してから発症していた私。まさかそのような病気になっているとはつゆ知らず、やたらとモザンビークは暑いなと思いきや発熱していたようで、頭痛は疲れのせいかな?と思っていた次第。帰って来て病院に行くと早期発見で良かったと言われる始末・・・)

要塞 Fortaleza de Nossasenhora へ。


もともとオランダがここに砦を構えたが、19世紀半ばにポルトガルが現在の物に造り替えた。
1974年4月25日独立を果たした。その功労者であるングニャーナ Ngungunhane 氏は1895年に捕らえられ、遺体は現在この棺におさめられている。毎年、記念日になると、モザンビーク全土から全部の首長がここに集まって来るとのこと。

通称レッドストリートとも言われる Rua do Bagamoyo は、今現在もナイトライフの通り。
マプト鉄道駅

駅舎の前のロータリーには、フランス大統領のマクマホン像(1814~1890)が建つ。
この駅は、1908~1910年に、同じくエッフェル氏が建てたもので、ビクトリア様式の大理石バルコニーや高さ20メートルの銅製のドーム型の屋根が特徴となっている。

海外の駅と言うと、どうしても治安が不安なのだが、ここは6:30~22:00までオープンしており、安全とのこと。





この駅は、世界の駅舎ベスト10に選ばれているとのこと。
そして驚いたことに、日本の金沢駅もそのひとつに選出されていた!!
金沢には何度も行ったがいつも車だったので、駅がそんなに素敵になっているとは。新幹線開通のお蔭?
中央市場 Mercado Central
1901年からやっていて、スーパーマーケットよりもお安い。生鮮として、野菜や魚介類は売っているが、お肉は個別のお肉屋さんに行って買うのだそう。


美味しそうな魚介類もふんだんに。

名物のカシューナッツも各種。
後で空港でも買い足したのだが、断然こちらの方が美味しくてお安かった。もっと買っておくべきだった。
そしてお姉さんが、おまけをいっぱいくれたのも嬉しかった。


南アのように黒人女性はまるまる鬘を被るのではなく、モザンビークの女性はエクステなどがお好みのよう。
モザンビークの資源は天然ガス、お茶、タバコ、カシューナッツなどで、それらをヨーロッパや日本などに向けて輸出している。天然ガスは北部ペンバの辺りにある為、2年前から南部と北部でもめている。
IMF 国際通貨基金により、2年前は1米ドル=30メティカルだったのが、現在は1米ドル=72メティカル。
物価も上がっており、以前はパンが2メティカルだったが今は11メティカル、とのこと。
冷凍した鶏肉でキロ当たり400メティカル(約735円)で、これは干物の魚(干し鱈など)よりも高い。

カラード(白人でも黒人でもない人)の通り。

治安の宜しくないマッファララと言うエリア。
マプトの郊外で、革命活動の誕生地でもある。

少数民族の住むエリア。
マラリア蚊が非常に多く、去年12月~今年3月までで200人が亡くなっている。
蚊帳を政府が提供しているそうだが・・・
かつては、奥さんは7人までOKな一夫多妻が認められていたが、現在はイスラム教徒でも一夫一妻制と定められている。
現在、HIV感染者はかつての17%から11%へと減少して来ている。失業率は20%、文盲率は50%、2004年から義務教育が始まったとのこと。
観光を終え、空港へ。5年前に出来たマプトの空港は、中国資本によるもの。
空港の手荷物検査場での出来事。
宿六には男性係員が、私には女性係員がついて、それぞれの手荷物を検査。私の鞄の上部に入れていた飲みかけのペットボトルの水には目もくれず、その下に入れていたカメラに反応。高価と思ったようで、いきなり米ドルの現金はないか?と聞いて来た。実際にそうなのだが、お財布は全て宿六が持っていたので、夫が持っていて私はないと答えると、ガッカリした様子。一方、宿六担当の係員は、宿六の財布を見せろと言っていた。夫がその必要性について問いただしているところ、上官のような人がにこやかにやって来て、我々は日本人だと言うと、鞄の中をチェックする必要もないから行って良し、と言ってくれた。しかし担当官は諦めきれないのかしつこく宿六の財布を見せろと強要。分けて現金を持っていたので、ほんの少しのモザンビークメティカルの現金と南アランドしか入れていない財布を見せると、これまたガッカリしてようやく諦めた。
外国人と見ると、「Money, Money」 とここまであからさまに言って来るとは。。。
検査官に見向きもされなかったモザンビークメティカルのお札。裏面には、南アのように5種類の動物が描かれている。モザンビークのお札もライオン・ゾウ・バッファローは南アと一緒だが、ヒョウとサイの代わりにキリンとクドウだったかな?アンテロープだった。


そんな検査官も欲しがらない現金を使い切るべく、空港のラウンジでモザンビークのビールを堪能。

さすがはポルトガルの元植民地だけあって、
エッグタルトが美味しかった。
エッグタルトが美味しかった。


空港ロビーでは、モザンビークの伝統的なダンスを披露していた。
マプト 15:35発 SA145便 ヨハネスブルグ 16:40着
ヨハネスブルグ 19:00発 SA579便 ダーバン 20:05着

マプトの上空
わずか3泊4日のモザンビーク旅行だったが、楽しめた。
(実は、その1週前に行ったゲームリザーブで、アフリカダニに噛まれ、アフリカダニ熱をモザンビークに到着してから発症していた私。まさかそのような病気になっているとはつゆ知らず、やたらとモザンビークは暑いなと思いきや発熱していたようで、頭痛は疲れのせいかな?と思っていた次第。帰って来て病院に行くと早期発見で良かったと言われる始末・・・)
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