ヴィンドックのホテルでの朝食。



もとドイツ領なだけあって、ソーセージや豚肉ベーコンなどが充実していた。


ヴィンドック Windhoek 市内観光へ。
まずアフリカーナー(オランダやドイツから移民して来た人達)がここを発見。その後ドイツ人が再びやって来た。
もともとこの地には、今は枯れてないが温泉が湧き出ていて、アフリカーナーが wind corner と言う意味のアフリカーンズ語である windhoek と名付けた。

Christus Kirche
クリストゥス教会
1800年代のドイツによる。砂岩で出来ている。

赤く傾斜のある屋根は、ドイツを懐かしんで建てられたもの。
Alte Feste 国立博物館

現在の国会議員の人達。

博物館の前には、最初の大統領の像がある。
片手には憲法書を持っている。
1990年~2005年までの3期に渡り、大統領を務めた。
1804年、1809年にマナ族とヘレロ族を抹殺すべく大量虐殺があり、21世紀になってドイツが謝罪した。
1915年、未だ弓矢しか持たないナミビアの地元の人達に対し、ドイツが土地をめぐり侵攻し勝利。
国連の指示により、南アが支配し、1990年のアパルトヘイト撤廃まで続き、独立。1966年に南アが多くの人達を殺したので、毎月26日にはその日を忘れないようにしている。
現在は5年ごとに大統領選挙が行われている。

この博物館は6年ほど前に造られたもの。


アンゴラ、東ドイツ、ジンバブエなどからの難民がやって来ていたのだが、郊外の地域のタウンシップに強制移住をさせられた。
ミネラル、ダイアモンド、ウランなどが採れ、現在でも南アとの国境沿いのダイアモンドエリアは立ち入り禁止区域となっている。

ちょうど、この月の9日に、ナミビアの反アパルトヘイト活動家であり政治家でありかつては投獄もされていた、まるでマンデラさんのような Andimba Toivo ya Toivo 氏が93歳で亡くなった。この日は国葬の日だったこともあり、外の大きなビジョンにもずっと報道されていた。


国葬の会場に向かう聖歌隊のバスや警察車両など。
偉人達が眠る所に埋葬される。


ドイツが最初に建てたお城であるハイネッツバーグ。
現在はホテルとなっている。

ヴィンドックの街を後にして、ナミブ砂漠へと向かう。

アカシア Camel Thorn Tree が生える荒涼とした景色が続く。
バオバブはナミビアの北西に少しあるだけで、似たモリンガが生えている。

テーブルマウンテン風の山は、ガムスバーグと言う標高2347メートルの山で、ナミビアでは4番目に高い山。

3時間半ほどのドライブのおともには、
南アと同様、干し肉やサラミ風のものを。


道すがら、やたらと見かけるのが非常に大きな何かの巣。木の枝のみならず、電柱の上にまで営巣している。

シャカイハタオリ Social Weaver の巣。
お昼間は皆出払っているそうで、この時は見られなかったが、後で嫌というほど見かけることに。
巣は冬は暖かく、夏は涼しい。
非常に大きな巣を、親から子供、そして孫へと何代にも渡って作っていく。
重いものだと100キロほどにもなる為、重みに耐えかねて枝や木が折れたり、巣が落ちることも。
巣の真下に行くと、卵や幼鳥を狙いに来ているヘビの Cape Cobra が居る可能性があるから気を付けろと。
ただし、コビトハヤブサ Pygmy Falcon や ミナミチョウゲンボウ Rock Kestrel がハタオリと共存していて、蛇を捕食して守ってくれてもいるのだそう。


ムジハイイロエボシドリ
Grey Go-away-bird
Corythaixoides concolor


この後は、Spreetshoogte 峠を越えて、ナミブ砂漠へ。その様子は<3>で。



もとドイツ領なだけあって、ソーセージや豚肉ベーコンなどが充実していた。


ホテルの屋上では、朝の番組を中継していた。
ヴィンドック Windhoek 市内観光へ。
まずアフリカーナー(オランダやドイツから移民して来た人達)がここを発見。その後ドイツ人が再びやって来た。
もともとこの地には、今は枯れてないが温泉が湧き出ていて、アフリカーナーが wind corner と言う意味のアフリカーンズ語である windhoek と名付けた。

Christus Kirche
クリストゥス教会
1800年代のドイツによる。砂岩で出来ている。

赤く傾斜のある屋根は、ドイツを懐かしんで建てられたもの。
Alte Feste 国立博物館
現在の国会議員の人達。

博物館の前には、最初の大統領の像がある。
片手には憲法書を持っている。
1990年~2005年までの3期に渡り、大統領を務めた。
1804年、1809年にマナ族とヘレロ族を抹殺すべく大量虐殺があり、21世紀になってドイツが謝罪した。
1915年、未だ弓矢しか持たないナミビアの地元の人達に対し、ドイツが土地をめぐり侵攻し勝利。
国連の指示により、南アが支配し、1990年のアパルトヘイト撤廃まで続き、独立。1966年に南アが多くの人達を殺したので、毎月26日にはその日を忘れないようにしている。
現在は5年ごとに大統領選挙が行われている。

この博物館は6年ほど前に造られたもの。


アンゴラ、東ドイツ、ジンバブエなどからの難民がやって来ていたのだが、郊外の地域のタウンシップに強制移住をさせられた。
ミネラル、ダイアモンド、ウランなどが採れ、現在でも南アとの国境沿いのダイアモンドエリアは立ち入り禁止区域となっている。

ちょうど、この月の9日に、ナミビアの反アパルトヘイト活動家であり政治家でありかつては投獄もされていた、まるでマンデラさんのような Andimba Toivo ya Toivo 氏が93歳で亡くなった。この日は国葬の日だったこともあり、外の大きなビジョンにもずっと報道されていた。


国葬の会場に向かう聖歌隊のバスや警察車両など。
偉人達が眠る所に埋葬される。

これは大統領官邸 だったかな。

ドイツが最初に建てたお城であるハイネッツバーグ。
現在はホテルとなっている。

Zoo Park
ヴィンドックの街を後にして、ナミブ砂漠へと向かう。

アカシア Camel Thorn Tree が生える荒涼とした景色が続く。
バオバブはナミビアの北西に少しあるだけで、似たモリンガが生えている。

テーブルマウンテン風の山は、ガムスバーグと言う標高2347メートルの山で、ナミビアでは4番目に高い山。

3時間半ほどのドライブのおともには、
南アと同様、干し肉やサラミ風のものを。


道すがら、やたらと見かけるのが非常に大きな何かの巣。木の枝のみならず、電柱の上にまで営巣している。

シャカイハタオリ Social Weaver の巣。
お昼間は皆出払っているそうで、この時は見られなかったが、後で嫌というほど見かけることに。
巣は冬は暖かく、夏は涼しい。
非常に大きな巣を、親から子供、そして孫へと何代にも渡って作っていく。
重いものだと100キロほどにもなる為、重みに耐えかねて枝や木が折れたり、巣が落ちることも。
巣の真下に行くと、卵や幼鳥を狙いに来ているヘビの Cape Cobra が居る可能性があるから気を付けろと。
ただし、コビトハヤブサ Pygmy Falcon や ミナミチョウゲンボウ Rock Kestrel がハタオリと共存していて、蛇を捕食して守ってくれてもいるのだそう。

コシジロウタオオタカ Southern Pale Chanting Goshawk
Meierax canorus
Meierax canorus

ムジハイイロエボシドリ
Grey Go-away-bird
Corythaixoides concolor


オオイッコウチョウ Red-headed Finch Amadina erythrocephala 左がオス、右がメス
この後は、Spreetshoogte 峠を越えて、ナミブ砂漠へ。その様子は<3>で。
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