ウガンダの首都であるカンパラ市内を少し観光。
もともと、この場所にはインパラが多く生息していて、やって来た白人が地元の人に何と言う生き物か?と聞いたところ、聴き間違ってカンパラ。そしてそのままこの首都の名前となったとか。

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早目に出たのだが、とにかく車やバイクや人で渋滞が激しい。

カダフィモスク
ウガンダ最大のモスク。リビアのカダフィ大佐が建てかけ、アミン大統領が完成させた。
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まずミナレットに登ってそこからの眺望を楽しむことに。頑張って360段を上がると、登った甲斐のある景色が広がっていた。
首都カンパラは7つの丘から出来ている。
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奥の高い丘には、マケレレ大学。その丘からこちらに向けてずっと続いている大通りは、カダフィ道路と言う。
モスリム教徒は一日に5回お祈りをするので、5つのドームがある。

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高い丘にはプロテスタントのナミレンベ教会、少し低い丘には、カトリックの教会が建っている。
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旧市街には、白い塔のあるヒンズー教の寺院。

モスク内部へ。
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柱はコンゴから、カーペットはリビアから。一階のこの場所に男性1500人、2階に女性1000人が収容出来る。

ウガンダ博物館

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木の皮で作った服。画像にはないが触れることの出来る部分もあったのだが、案外しっかりしていて、濡れても大丈夫そう。

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庭には、各地の伝統的家屋が建てられていた。

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町の中心部になんとなんとゴルフ場! 植民地のなごりと言ったところか。

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伝統的な女性の衣装。
普段はこの子供を抱いた女性のようにカジュアルなのだが、結納などの時にはこの衣装を着る。
しかし結婚式には、スーツなのだそう。

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乗り合いタクシーの後部ガラスに貼られていたアミン大統領のポスター。1970年代にクーデターを起こし、独裁政治を敷き、インド系の移民を追放、国民約30万人を虐殺した人。1979年にリビア経由サウジアラビアに亡命。詳しくは wikipedia を。そんな人だが、今でも人気があるのだそう。ビックリ。

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渋滞していると色々な物を売りにくる。新聞売り。2000シリング=約60円

ジンジャと言うヴィクトリア湖畔の町へ行くことに。
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ミナレットから眺めていたカダフィ道路。

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町の郊外の貧しい人達のエリアを通って行く。

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未舗装で車一台が通ると物凄い砂煙があがり、トラックなどが通ろうものなら真っ白になって何も前が見えないぐらい。しかしその横でお店をやっていたり住んでいたり。

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ムコノと言う町に到着。

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年中採れるバナナが運ばれて行く。調理用バナナはウガンダの西で採れるので、それを東方面に運んでいるところ。

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道路際では、焼き鳥?のような物やバナナ売りなどが居て、道路際ではバナナを剥いては焼いていた。

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焼きバナナ。4本で2000シリング(約60円)モンキーバナナよりも大きな種類。甘さがちょっと足りないかな。
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渋滞していた先には、荷台が大きく壊れたトラックが牽引されて行く。。。そして路上にはトウモロコシをぶちまけてしまった運転手さんらしき人が。。。南アなら、あっと言う間に周りの人が荷崩れした路上の物を奪って行くが、ここはそのようなことがなかった。

首都カンパラから東へ80キロの地点なのだが、渋滞が多く、2時間かかって ジンジャ Jinja と言う町に到着。

お昼を食べることに。
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左のボウルは鶏の煮込み。右のプレートの白いご飯から時計周りに、ジャガイモ、ポショ (トウモロコシ粉を練ったもの)、バナナを練ったもの、バナナ、スイートポテト、カボチャ、ヤムイモ、緑の野菜、中央はキャッサバ。キャッサバとバナナの練ったものなどにかかっている紫のソースはピーナッツのソース。鶏のスープはピリ辛でもないのだが美味しい。右のプレートはこれでもかと炭水化物のオンパレード。

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そのレストランに売りに来ていた季節商品。この時期にしか獲れない旬のものなのだそうだが・・・
バッタを調理したもの。タマネギのみじん切りなどと一緒に食べるのだそうだが、イナゴなど昆虫系が一切ダメな私は写真を撮るのがせいいっぱいだった。

この後、ヴィクトリア湖にある白ナイル川の源流を見に行くことに。その様子は<3>で。