首都カンパラからキソロ Kisoro に向かう途中、ンバララ Mbarara と言う町に昼食に立ち寄った。

ホテルのビュッフェだったのだが、独特なものがあった。
茶色いものは Kalo と言い、ヒエで作られた硬めの蕎麦掻のようなもので、それに横の Eshabwe なる白いソースをかける。
ミルクとギーなる油などで作る Eshabwe は、チーズのような風味。
いずれも甘くないのだが、デザート感覚なのだそう。


左の画像を拡大してもらうとわかるのだが、一番左のジャガイモの表示が 「Irish Potatoes」。
ジャガイモのアイルランド料理風の味付けなのかと思いきや、ジャガイモ自身をアイリッシュポテトと言うのだそうで、原産はアイルランドではなく中南米だよと言うといたく驚かれた。しかし、良く良く考えると、日本もインドネシアのジャワ島のジャガタライモから転じて 「ジャガイモ」 と勝手に命名しているのだから、ウガンダのことをとやかく言えないかな💦



昼食を済ませ、一路キソロ Kisoro に向かう。


男性のこの衣装が結納の時の物で、白色。結婚式の時にはスーツでこれは着ない。
女性もこれがフォーマルな伝統衣装。
お葬式の時には、特に決まりはなく、黒色かほかでも構わないが、白色は着ない。

結納用に使うのか?山羊さんを連れていた女性。
必死で逃げようとする山羊さんと格闘中。

ちょうど一週間前に開通した渋滞回避用のバイパス。
未だ広く知られていないようでガラガラで快適。
山羊さん達だけの専用道路のようだった。

以前の記事で何度か出て来た、季節料理?季節のスナック菓子?のバッタを獲る所。
夜に煌々と灯りをつけてそこに集まるバッタをこのパネルから滑り落して集める。

ソルガム (キビ) を道端で乾していた。
乾した後、3~4日発酵させてわずかなアルコールを含んだ飲み物を作る。
画像にはないが、街角などで男性のみならず女性もマグカップのような物でそのソルガムビール?を飲んでいる光景を良く目にした。

日本からの中古トラックには、山盛りの人達が。
まずトラックを輸入してウガンダのナンバープレートを付けたら、真っ先にやることは、少しでも多くの荷物を積めるようにと荷台の枠を高く改造することなのだそう。
カバレ Kabale と言う町を通過。バチガ族が多く住む。

茶畑が広がって来た。

黄色い一団が。
実は彼らは囚人で、前後には銃を携帯した看守が付いている。
罪としては6ヶ月程度の懲役と言う軽い罪を犯した大人達とのこと。
段々畑が広がる。



良く見ると、ここの段々畑は、平らな畑が階段状になっているのではなく、スロープのままで、斜めになりながら作業をしていた。

道路脇にはサイズが異なる石の小山がいくつか。
山から切り出した石を、女性や子供が手で砕き、色々な大きさにしたものを業者に買ってもらっているのだそう。
石の運搬だけでも重そうなので、相当きつい仕事かと。

バブーンが居た。
ウガンダのバブーンは凶暴ではないとのこと。
エチオピアのバブーンもすぐ傍まで行って目を合わしても問題なかった。
凶暴で人間を襲うと聞いたのはタンザニアだったり、南アのケープタウン界隈だったりだが、結局人間が餌になる食べ物を与えてしまうことが発端。

ブニョニ湖 Bunyoni が見えて来た。
タンザニアのタンガニーカ湖に次いでアフリカでは深い湖。
魚は生息しておらず、ザリガニだけがいる。
後日、ここも観光し、そのザリガニ(クレイフィッシュ)料理をいただいたので、詳細は追って。
やれやれ、キソロ Kisoro に到着。
高い山々のヴィルンガ山地が控えている。大地溝帯による火山エリア。
左の一番大きく見えるのは、ムハヴラ山 Muhavura 標高4127メートル、その右奥はムガヒンガ山 Mgahinga 標高3474メートル、一番右で遠い為に低く見えるサビーニョ山 Sabyinyo 標高3669メートル。
富士山が3776メートルなので、富士山を軽く超える山と、若干小さな山が2つ並んでいるイメージ。
尚、サビーニョ山は、ウガンダのみならず、コンゴ民主共和国とルワンダとの国境にも位置している。

キソロの町の郊外には、コンゴからの難民キャンプがあった。
キソロの町から西に27キロ行けば、コンゴ民主共和国との国境、10キロ南に行けばルワンダの国境となり、後日そこからルワンダへと陸路で国境越えをする。

キソロのホテルにチェックイン

とてもシンプルなホテルなのだが、ゴリラトレッキングの拠点となっている町の一番のホテルと言うこともあってか、お値段はお安くない。
宿泊客もヨーロッパ人が多く、民族衣装に身を固めたお金持ちそうなウガンダ人がディナーにやって来ていた。

ホテルでディナーを。
クリスマス前なので一応飾り付けが。

アボカドの突き出し



ビーツのサラダ。新鮮なビーツで美味しい。

鶏肉の煮込み。付け合わせの野菜もたっぷり。
デザートのクレープ
翌日は、いよいよウガンダ旅行の最大の目的であるゴリラトレッキングに行く。その様子は<7>で。

ホテルのビュッフェだったのだが、独特なものがあった。
茶色いものは Kalo と言い、ヒエで作られた硬めの蕎麦掻のようなもので、それに横の Eshabwe なる白いソースをかける。
ミルクとギーなる油などで作る Eshabwe は、チーズのような風味。
いずれも甘くないのだが、デザート感覚なのだそう。


左の画像を拡大してもらうとわかるのだが、一番左のジャガイモの表示が 「Irish Potatoes」。
ジャガイモのアイルランド料理風の味付けなのかと思いきや、ジャガイモ自身をアイリッシュポテトと言うのだそうで、原産はアイルランドではなく中南米だよと言うといたく驚かれた。しかし、良く良く考えると、日本もインドネシアのジャワ島のジャガタライモから転じて 「ジャガイモ」 と勝手に命名しているのだから、ウガンダのことをとやかく言えないかな💦



昼食を済ませ、一路キソロ Kisoro に向かう。


男性のこの衣装が結納の時の物で、白色。結婚式の時にはスーツでこれは着ない。
女性もこれがフォーマルな伝統衣装。
お葬式の時には、特に決まりはなく、黒色かほかでも構わないが、白色は着ない。

結納用に使うのか?山羊さんを連れていた女性。
必死で逃げようとする山羊さんと格闘中。

ちょうど一週間前に開通した渋滞回避用のバイパス。
未だ広く知られていないようでガラガラで快適。
山羊さん達だけの専用道路のようだった。

以前の記事で何度か出て来た、季節料理?季節のスナック菓子?のバッタを獲る所。
夜に煌々と灯りをつけてそこに集まるバッタをこのパネルから滑り落して集める。

ソルガム (キビ) を道端で乾していた。
乾した後、3~4日発酵させてわずかなアルコールを含んだ飲み物を作る。
画像にはないが、街角などで男性のみならず女性もマグカップのような物でそのソルガムビール?を飲んでいる光景を良く目にした。

日本からの中古トラックには、山盛りの人達が。
まずトラックを輸入してウガンダのナンバープレートを付けたら、真っ先にやることは、少しでも多くの荷物を積めるようにと荷台の枠を高く改造することなのだそう。
カバレ Kabale と言う町を通過。バチガ族が多く住む。

茶畑が広がって来た。

黄色い一団が。
実は彼らは囚人で、前後には銃を携帯した看守が付いている。
罪としては6ヶ月程度の懲役と言う軽い罪を犯した大人達とのこと。
段々畑が広がる。



良く見ると、ここの段々畑は、平らな畑が階段状になっているのではなく、スロープのままで、斜めになりながら作業をしていた。

道路脇にはサイズが異なる石の小山がいくつか。
山から切り出した石を、女性や子供が手で砕き、色々な大きさにしたものを業者に買ってもらっているのだそう。
石の運搬だけでも重そうなので、相当きつい仕事かと。

バブーンが居た。
ウガンダのバブーンは凶暴ではないとのこと。
エチオピアのバブーンもすぐ傍まで行って目を合わしても問題なかった。
凶暴で人間を襲うと聞いたのはタンザニアだったり、南アのケープタウン界隈だったりだが、結局人間が餌になる食べ物を与えてしまうことが発端。

ブニョニ湖 Bunyoni が見えて来た。
タンザニアのタンガニーカ湖に次いでアフリカでは深い湖。
魚は生息しておらず、ザリガニだけがいる。
後日、ここも観光し、そのザリガニ(クレイフィッシュ)料理をいただいたので、詳細は追って。
やれやれ、キソロ Kisoro に到着。

高い山々のヴィルンガ山地が控えている。大地溝帯による火山エリア。
左の一番大きく見えるのは、ムハヴラ山 Muhavura 標高4127メートル、その右奥はムガヒンガ山 Mgahinga 標高3474メートル、一番右で遠い為に低く見えるサビーニョ山 Sabyinyo 標高3669メートル。
富士山が3776メートルなので、富士山を軽く超える山と、若干小さな山が2つ並んでいるイメージ。
尚、サビーニョ山は、ウガンダのみならず、コンゴ民主共和国とルワンダとの国境にも位置している。

キソロの町の郊外には、コンゴからの難民キャンプがあった。
キソロの町から西に27キロ行けば、コンゴ民主共和国との国境、10キロ南に行けばルワンダの国境となり、後日そこからルワンダへと陸路で国境越えをする。

キソロのホテルにチェックイン

とてもシンプルなホテルなのだが、ゴリラトレッキングの拠点となっている町の一番のホテルと言うこともあってか、お値段はお安くない。
宿泊客もヨーロッパ人が多く、民族衣装に身を固めたお金持ちそうなウガンダ人がディナーにやって来ていた。

ホテルでディナーを。
クリスマス前なので一応飾り付けが。

アボカドの突き出し

レンティルのスープ
美味しかったが、たっぷりあってお腹がふくれた。
美味しかったが、たっぷりあってお腹がふくれた。


ビーツのサラダ。新鮮なビーツで美味しい。

鶏肉の煮込み。付け合わせの野菜もたっぷり。
デザートのクレープ
翌日は、いよいよウガンダ旅行の最大の目的であるゴリラトレッキングに行く。その様子は<7>で。
この日教えてもらったことの備忘録
首都カンパラは90年代まではスワンプで、現在の首都の一部は埋め立て地。
現在ウガンダには、スーダン人、ソマリア人、ルワンダ人なども多く住む。1960年代から迫害を受けていた一部のルワンダ人が逃げて来てのをウガンダ政府が受け入れたこともあり、現在はウガンダ人と国際結婚をした人も多く、その子供達はウガンダ人となっている。
都会のカンパラの人達は祈祷師・呪術師 (南アで言うサンゴマ、ウガンダではウィキナシ) のことは信じていない人が多い。しかし、アフリカ大陸の西部、東部、南部にあるアフリカ土着信仰の問題であるが、子供やアルビノの黒人の身体をその祈祷師達が利用したり処方に使ったりすることから、子供の誘拐などが絶えず、悪い祈祷師が逮捕されるなどしているとのこと。
ウガンダの北部・東部ではトウモロコシ栽培が多いのだが、西部はバナナとミルクの土地と言われている。
ウガンダ人は52以上の部族に分かれているが、その40%はバンツー系の民族。カンパラの人達とウガンダ王とは同じ一族だが、1965年以降王家は弱体化した。
それぞれ部族に王様がいたので、約30人以上の王様がいるが、最初の5部族だけが王位を今も引き継いでいるものの大統領は認めていない。1人が10年間王様を務めることが出来、父親から息子へとは引き継がれず選ばれる。王様には政府がお金を与えており、車も新車が与えられるなど。
1990年代頃から、ウガンダはツーリズムに力を入れ始め、ルワンダも遅れてツーリズムを盛んにしているが、コンゴは未だ政治的にも危ないので旅行はお勧めしないと。
キソロはフンビラ族の人達の町で、ルワンダ語に近いフンビラ語を話す。
現在の親世代は学校に行っていない人が多いが、政府が子供には学校に行かせるよう指導し、子供達は皆学校に行っている。
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