クワズールナタール州の州都。
もともとはズールー族が住んでいた土地だったが、アンドリース・プレトリウスに率いられたボーア人 (=アフリカーナー、オランダ系等移民) が 「ブラッドリバーの戦い」 でズールー族に勝ち、ナタール共和国を建国。町の名前は、2人の著名なヴートレッカーのリーダー、ピート・レティーフ Piet Retief とヘリット・マリッツ Gerrit Maritz に因んでいる。ヴートレッカー(フォートレッカー) Voortrekkers とは、ケープ植民地に入植したオランダ系移民のことで、アフリカーンス語やオランダ語で開拓者を意味し、19世紀初頭から土地を求めて内陸部へ向かった人達のこと。後には、イギリス軍の手に堕ちたが、今もビクトリア様式やエドワード様式と言われる建物が残っている。(ビクトリア様式は19世紀にイギリスのビクトリア女王統治時代の建築様式で華麗で装飾に凝った内装で重厚なのに対し、エドワード様式は20世紀初頭のエドワード7世時代の建築様式で、ビクトリア様式の過激な装飾に対し生まれた。)

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市庁舎
ヴィクトリア様式の建築で、1893年に建てられたが1895年に焼失。現在のものは1901年建立。塔は47メートルの高さがあり、南半球の煉瓦造りの建物では一番高く、一番大きなパイプオルガンが置かれている。

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Government House 1845年建立。今は大学のUNISAが使用している。

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ズールー戦争時のナタール原住民問題担当長官 テオフィルス・シェプストン Sir Theophilus Shepstone の像
当時、ズールー族の王セテワヨとは友好関係にあったと言うが、あまり彼の偉業?が良くわらかず。
(彼の詳細は wikipedia をご参照下さい。)

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JW Allisons ビル 1904年建立。Allison's Saddlery という馬具の会社の社屋だったのだが、移転した為、今はメンテナンスがされていない。

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郵便局 1903年建立

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中心部の目抜き通りにある マハトマ・ガンジー像
イギリス領インド帝国で生まれ、ロンドンで法律を学び、24歳の時にイギリス領南アフリカ連邦(現、南ア)で弁護士となった。白人優位の人種差別政策下で、1等席の切符を買って列車で移動していたガンディーは、ピーターマリッツバーグの駅で、席のない白人男性へ席を譲った上で有色人種用の3等席へ行くよう車掌に命じられたのを断ったため、ピーターマリッツバーグで、荷物もろとも放り出されるなどの強烈な人種差別を体験したことで、イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになった。その後、インドに戻ったガンジーは、人生で最も影響を受けた出来事としてこの事件のことを挙げたのだとか。
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ピーターマリッツバーグ駅 マハトマ・ガンジーが1893年にここで降ろされたことで有名になった。

現在もピーターマリッツバーグはインド人コミュニティが非常に大きいのだが、アパルトヘイト時代には、そのインド人の9割の人が郊外のノースデイルに、ズールー族の大半は近隣の黒人居留区のイーデンデイルに移らされたのだそう。

また、ここピーターマリッツバーグはジャカランダの並木でも有名。ジャカランダの時期となると、いつも楽しませてもらっている。2017年の様子2015年の様子2014年の様子

南アにある国立博物館のひとつ、ナタール博物館 もあり、案外充実している。植民地時代の1905年に開設された博物館で、植民地時代は、野生動物をハンティングするのが白人達のステータスであり、その剥製をより多く所有する博物館がより力があるとされていたのが良くわかった博物館だった。

未だ未だ歴史的な建造物が多数ある州都なのだが、ダーバンと同様、いかんせんその多くがメンテナンスされていないのが残念。また、治安もあまり良くないことからいつも町並みを車窓からの見学となってしまうのも残念ではある。