湯村温泉で迎えた朝。
(前夜の夕食は非常に満足なものだったが、朝食に関してはガッカリだったので割愛)

平成6年に天皇皇后両陛下が植樹祭の為に来られた際に、迎賓館の 「楽庵」 を造られたとのこと。現在はそのまま保存してあり、見学することが出来る。
京都出身の阪本弘氏による建築と数寄屋造りの別棟となっている。建物の2階がその 「楽庵」
画像はHPから


宿のおかみさんが、建築当時や来られた時のエピソードなども交えて、建物について解説してくださる。
まずは専用のエレベーターで上がるのだが、一階のエレベーターの扉はテッセン。
2階の扉は小菊で、菊は勿論ロイヤルファミリーの意味とのこと。

エレベーターを降りるとこのような感じ。

一旦外に出て 「楽庵」 の建物に入る。
三大杉である、北山杉、吉野杉、秋田杉・・・だったかな、をふんだんに使われている。
つい屋久杉と言ってしまった私だが。。。

控えの間、客室、寝室、床の間、お風呂場などを拝見したのだが、いかんせん建築家の希望により写真撮影禁止とのこと。
ひとつひとつの調度品も最高のものを用意されたそう。
しかし、宮内庁から泊まりに行きますとのお達しが2年前にあり、何のサポートもなく、宿側は自前で全て用意しなければならないとは!
勿論宿としてはその栄誉たるや、買えるものではないものだとは思うのだが。
血税が注ぎ込まれると思うと許せないが、一晩泊まられるが為に一体どれだけ民間側が散財しなければならないのかと思うとビックリ。
この画像はHPより。
宿をチェックアウトして、余部橋梁に行ってみた。


エレベーターで橋の上にある「空の駅」 に上がれるが、歩ける道も併設されている。

もともとの余部鉄橋は1912年に完成。しかし、地元の余部地区の住民には恩恵はなく駅がなかった。列車の通行を避けながら鉄橋を渡り、列車も通る4つのトンネルを抜けて鎧駅と言う駅まで歩かなければ通勤も通学も出来ない状態。47年後の1959年に、ようやく餘部駅が誕生。
1986年に強風により鉄橋から列車が転落。鉄橋の下の工場にいた女性5名と車掌の6名が亡くなったと言う事故も。2010年に新しく現在の橋が架けられた。

余部を越えて、香住の港町へ。
港の前にある三七十鮨で昼食を。
その様子は こちら

岡見公園からの眺め
少しだが、柱状節理なる岩肌も見ることが出来る。
300万年まえ頃~1万年前後に、この一帯は火山噴火は頻繁で、160万年前玄武岩や花崗岩の溶岩により形成された。

はさかり岩
天然記念物とのこと。
この後、帰途に。
ちょうど梅雨入りしたばかりだったのだが、お天気が何とかもってくれ、ラッキーだった。
※
現在、日本列島は各地で大雨によるご不幸が起こっているとのこと。お悔み申し上げると共に、くれぐれも皆さまお気をつけ下さい。
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