アル・ダッバの町に着いて、まず目に飛び込んで来たのは、延々とガソリンスタンドに並ぶ車列。

ガソリンスタンドはあるのだが、ガソリンがない所が多く、ガソリンを入荷した所に車が殺到している状況。

給油されるまでに2~3日待たないといけないことも、と言われたのだが、ウソでしょ?!とにわかには信じられなかった我々。
その意味がベーカリーの長蛇の列と共に徐々にわかって来ることに・・・

ちょっとしたレストランがあったので、そこでお昼を。



エジプシャンビーンズは優しい味。

卵焼き 黄身が白くて味が薄い・・・ウガンダの卵のよう

牛のレバーの煮込み

スーダン風サラダ。
ライムが利いて美味しいサラダだったが、旅行も未だ序盤なので、生ものはちょっと控えておいた・・・
このパンはまるでイタリアのシアバッタのようで
とても美味しい。2人で5個ペロッと食べてしまった。

地元の人達の足は、
もっぱらロバのよう。

水甕の恩恵を得ているおじさん


ヒッチハイクもする。
ハイラックスが停まってくれたので、
速攻乗り込むおじさん達。
道路沿いには、普通にラクダやロバが死んでいる。いかに厳しい気候ということか。あまりに乾燥しているので、全く異臭も何もなく、自然とミイラになると言った印象。
お肉が勿体ないのでは?と思ったのだが、イスラムカットのハラールミートでないと食べない方々なので、病死や餓死などの家畜はそのままと言うことなのだそう。

全く道路標識がわからない💦
因みに、zain とは、提供している携帯会社の広告。

ケルマ Kerma に到着。
王様の像

またここでも、ガソリンを求めて長蛇の列・・・

日干し煉瓦を造っていた。
今も昔も変わっていないような・・・
ケルマ博物館

ナパタ期の歴代の王の彫像
花崗岩による像
(ナイル川の第4カタラクトに花崗岩がある)

クシュ (Kush) は、現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明。
クシテ(Kushite)とも言う。
最も早い時代にナイル川流域で発達した文明の一つ。
クシュの国として知られている最初の国、ケルマ王国は、紀元前2600年頃に興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配。サハラ砂漠以南地域における最初の王国であったと考えられている。
上ヌビアにおける文化の中心地として古くから栄えたが、中王国時代 (BC2133年頃~BC1786年頃) になってエジプトの南方における貿易上の拠点となった。
1913~15年、G.ライスナーの発掘で発見された。
クシュの国として知られている最初の国、ケルマ王国は、紀元前2600年頃に興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配。サハラ砂漠以南地域における最初の王国であったと考えられている。
上ヌビアにおける文化の中心地として古くから栄えたが、中王国時代 (BC2133年頃~BC1786年頃) になってエジプトの南方における貿易上の拠点となった。
1913~15年、G.ライスナーの発掘で発見された。

埋葬方法についての展示
右 :
中石器時代 ~BC6500年
左 :
左 :
新石器時代 BC6500年~BC3300年頃

ケルマ時代中期

カバの牙などから造ったブレスレットは、el-Barga 村から見つかった新石器時代のもの。
デフーファと呼ばれる神殿?祭礼施設?と思われる建築物

高さは19メートル。その周囲を、王宮、居住区、墳墓が取り囲んでいる。
デフーファは本当の使用目的はわかっていないが、ヌビア語で宗教建築を意味する。アドベ煉瓦で造られ、周囲の墓地では、屈葬式の一人用のものもあれば、強制的な殉死埋葬の跡も見つかっている。エジプトの行政官の塚上の墓で,多数の召使たちが犠牲として埋葬されていた。
デフーファは本当の使用目的はわかっていないが、ヌビア語で宗教建築を意味する。アドベ煉瓦で造られ、周囲の墓地では、屈葬式の一人用のものもあれば、強制的な殉死埋葬の跡も見つかっている。エジプトの行政官の塚上の墓で,多数の召使たちが犠牲として埋葬されていた。





未だ現在も発掘中の部分は、スイスのジュネーブ大学のチームによる。クリスマス時期だったので、皆一旦里帰りしており、作業は休止中。

ホテルは、所謂セルフケータリングな所なので、
ガイドさん達が買いに行った食材での晩御飯。
翌日は、ソレブ遺跡、セシビ遺跡などを訪問。その様子は<6>で。
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