朝食後、ドンゴラの町にあるカフェでコーヒーなどをいただくことに。


コーヒーは、カルダモン風味、シナモン風味、ジンジャー風味から選べるので、ジンジャーコーヒーを。
そしてハイビスカスティーを。
ハイビスカスティーは、わざわざ近くのお店にハイビスカスの花を買いに行ってくれて作ってくれた。


場所にもよるが、だいたいコーヒーもお茶も10~15スーダンポンド(=約23円~35円)
カフェの外側にも椅子がいくつも置いてあり、外でも中でも飲めるようになっている。しかしお客さんは男性ばかりなのに驚いた! スーダンでは朝食は遅めの10時頃に食べる習慣があり、男性は家を出てまずこのようなカフェでコーヒーを一杯飲んでから仕事に行くのだそう。
一路、ソレブ神殿に向かうべく北上。

この道をひたすら行くとエジプトに着く。エジプトには、女性や子供でもパスポートさえあればVISAなしで行くことが出来るとのこと。「大人や子供」 と言わなかったガイドさんの説明に、やはり男女差があるイスラム圏かと💦

新築されたバスターミナル。
忽然とあった。

隣国リビアからやって来た
中古車達。

ロシア資本による金の採掘現場。
界隈では、盗掘も行われているとか。
ソレブ神殿 Soleb ruines

ソレブ Soleb 遺跡は、スーダンに於けるエジプトのファラオが建てた一番大きな神殿。古代エジプト第18王朝の第9代ファラオであるアメンホテプ3世 (BC1390年~BC1352年) によって建立されたもので、即位名はネブマアトラー Nebmaatre。ソレブ神殿は、エジプトのアムン神とネブマアトラーに捧げられた。彼は、エジプトのルクソール神殿や、メムノンの巨像を建てたファラオでもある。
神殿は、3つの構造からなり、最初の小さな神殿だったが160メートル拡張し、最後には彼の治世30年の記念に更に装飾が施された。
神殿は、3つの構造からなり、最初の小さな神殿だったが160メートル拡張し、最後には彼の治世30年の記念に更に装飾が施された。

神殿は東西に渡り、人工的に造られた運河によってナイル川につながり、砂岩によって造られた波止場もあった。
奥の緑の部分は、ナイル川。
長い回廊には、数多くの像が並び、24体もの羊の像などもあったが、スーダン王の Piankhy により、6体はバルカル Barkal に移築された。回廊の奥には、高い柱の2つの大きな広間があったが、大半が壊れてしまっている。最後の奥の間は、近隣のエジプトなどの国々を模した柱がある。西の部分は残念ながら残っていない。

神殿はあいにく地盤の弱い所に建てられた為に壊れ、1957年にイタリア人女性の指示のもと20年に渡って発掘と修復がなされた。


大きな門?の天板に大きくカルトゥーシュが彫り込まれていた。
調べてみると、「ネスウビト ネブ・マアト・ラー = 真理の主、太陽神ラー」、つまり 「アメンホテプ3世」 と書かれている!
左の画像は縦書き、下は左から読む横書きだが、まさしく同じヒエログリフとなっていた。

ファラオの名前は、多い時代で5つの呼び方があり、「ホスル名」 「二女神名」 「上下エジプト王名(即位名)」 「サー・ラー名(誕生名)」 「黄金のホスル名」。これらのうち、上下エジプト王名とサー・ラー名の2つは、ロープで作った輪の中に囲まれて表される事になっており、この輪の事を 「カルトゥーシュ」 と呼ぶ。
今回の物は、その上下エジプト王名で、カルトゥーシュの手前に書かれているのは、上下エジプトの王名のネスウビトと言い、下エジプトのシンボルであるスゲ (ネスゥ) と、上エジプトのシンボルであるミツバチ (ビト) がシンボルとなっている。カルトゥーシュの中の◎や○は太陽円盤を表していてラー神を、次の左を向いた女性は、ダチョウの羽根を頭につけたマアト女神。

とてもくっきりと書かれたヒエログリフも多く、建物のパーツがそのまま放置されているのは勿体ない気がした。


セシビ遺跡 Sesibi ruines
エジプト第18王朝イクナートン / アケナテン (アメンホテプ4世)の建てた神殿で、アテン神に捧げられたもの。


BC1580~BC100年。
あいにく、昔にベドウインの人達が家造りの為に、遺跡とは知らずに石を取って行ってしまったので、残っている物はわずか。また、そこに後世に落書きもされていて残念。

首にアンクをひっかけた2匹のコブラが描かれていた。
蛇形記章またはウラエウスとは、エジプトに棲息するアスプコブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化したもので、古代エジプトの主権、王権、神性の象徴。ナイル川デルタ地帯の守護神とされ、さらに下エジプト全域の守護神とされた。
アンク (古代エジプト語ラテン翻字: Ankh) は、古代エジプトで使用された 「生命」 あるいは 「生きること」 を意味する言葉。

それにしても、ナイル川を活用した灌漑があちこちにしっかりと施されている。

フェリーでナイル川を渡ることに。


何処から来た?と声をかけてくれたフレンドリーな船長さん。
船の上にも、伝統的な
水甕が置かれていた。

お昼は、だだっ広い何もない所に忽然とあったこの看板のレストランに。

ナイル川で獲れたアッジャーリと言うお魚のフライ、サラダ、卵焼き、そして茄子の油炒めを。
お魚はとても美味しい。ナイルパーチかなぁ???



車にもエネルギー補給は必須。
7台ぐらいに分乗して来ていた香港からのツアー客ご一行さんは、一台の車にガソリンタンクを何個も載せて、各車に給油していた。

我々の車にも給油を。
いわゆるブラックマーケットのガソリンスタンド。
ここ3カ月はガソリンが国全土でひっ迫し、正規でガソリンスタンドに並ぶと、都市部ですら1~2日、田舎では2~3日は並ばないとダメ。その為、時間に限りのある旅行者達を乗せた車は皆、このようにブラックマーケットを利用せざるを得ない。普通なら、1リットル40スーダンポンド (約92円) だが、闇で買うとその3~4倍するとのこと。
昼食後は、ナイル川の第三カタラクト、サボの岩絵、ナウィ遺跡、トンボス遺跡へ。その様子は<7>で。
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