ナイル川の 第三カタラクト へ。

カタラクトとは、大きな滝や瀑布のことで、ここは上流から数えて3番目のカタラクト。1番目のカタラクトは、アスワンハイダムによって水量調節を受けているが、ここは自然のまま。

ナイル川を一望できる高台に、かつて要塞?見張り台?のような物があった。今はその石積みだけ。

ソレブ神殿のそばだが、キャンプ場のようなものがあった。中国がダム建設を行うべく、技術者や建設要員が住む所として造ったのだが、地元の人達がダム建設に反対し、頓挫したとか。
サボの岩絵 Sabo ruines
先史時代の岩絵が何ヶ所も残っている。

船でナイル川を行き来していた様子など。


キリンなどの絵もあり、当時は、砂漠ではなく緑豊かな場所だったことがわかる。

ナウィ遺跡 Nawi ruines

いくつかこのような岩山があるエリアなのだが、何故だかこのひとつの岩山のたった一か所にだけ、18王朝トトメス3世 (BC1504年~BC1450年) の時代のレリーフが残っているとのこと。

ゴツゴツの岩の一部だけが綺麗に平らになっていて、
レリーフがあった。

岩山の中腹にある為、足元が良くない場所を頑張って登らないと見えないことから、落書きなどはされておらず、とても綺麗に残っており、びっしりとヒエログリフが彫り込まれていて圧巻。


上の方にあるカルトゥーシュ2つは、第19王朝のセティ1世 (BC1291年~BC1278年頃) の王の名前 (図の左側) が右向きで書かれているような???

そこからのナイル川の眺めはこれまた素晴らしい。
ナイル川を見渡せる場所に造ったのだろうか。
トンボス遺跡 Tombos ruins

第18王朝トトメス3世の花崗岩の石切り場。
ナイル川のカタラクト周辺には、花崗岩地帯があり、エジプトはアスワンのナイル第1カタラクトの石切り場で見た 「未完成のオベリスク」 があるように、ここにも、未完の像が残っていた。




少し離れた所に、トトメス3世の碑文があるとのことだったが、碑文の中のカルトゥーシュのひとつは、アメンホテプ3世の事を書いているような・・・
右側の画像は、アメンホテプ3世についての wikipedia にあるNYメトロポリタン美術館蔵より。
この日は、ソレブ神殿、セシビ遺跡、第三カタラクト、サボの岩絵、ナウィ遺跡、トンボス遺跡と非常に多くの場所に行き、充実した一日。お疲れさんと、ホテルに戻るべく高速道路を走っていると・・・

左側前輪が豪快なパンク💦💦💦

暗い中で、小さな懐中電灯2つと携帯の灯りで作業をしていると、トラクターが停まってくれて、そのトラクターのヘッドライトで明るく照らし出してくれた。

載せていたジャッキのサイズが合わず、かつ、レンチがなく、、、
・・・すると、こんなボロボロの今にも壊れそうなハイラックスが停まってくれ、ジャッキやレンチを貸してくれた。
そしてトラクターのおじさんと、おんぼろ車のお兄さん達2人が、我々のドライバーさんを助けてくれて無事にタイヤ交換終了!
ドライバーガイドさんと一緒にナミビアを旅行していた時に、パンクや砂にはまって動けない車を3度ほど助けたことがあるが、その時皆さん、我々のドライバーガイドさんに謝礼をあげていたので、我々もそのつもりで、一番頑張って頭や全身が砂まみれになって助けてくれたトラクターのおじさんに謝礼をしようとしたら、びっくりされて固辞。驚いてドライバーさんに聞いたところ、スーダンでは誰もが困っていると当たり前のように停まって助け、謝礼を求めないし謝礼をあげたりもしない。逆に謝礼を渡そうとすると怒るかも?とのこと。
スーダンの人達の助け合いの精神を垣間見た気がした。

すったもんだで、ホテル近くに戻って来た時は予定よりも1時間遅れ。
近くの食料品屋さんで晩御飯を買い出し。


スーダンでは、いつも驚かされるのがこの卵。
黄身が真っ白で、黄身だけ食べてもあまり味がしない・・・
ウガンダの卵もそうだったのだが、鶏に与える飼料のせいなのかな。
翌日は、オールドドンゴラ、カリマ遺跡、クッル遺跡、ジョベルアルバルカルなどへ。その様子は<8>で。
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