(お気に召さない方もおられるかも知れない画像が冒頭ありますが、ご容赦ください)
ナイル川沿いで、朝からちょっと悲惨な声が・・・

イスラム圏では、食用のお肉は、正式なライセンスを持った人による、イスラム教の教義にのっとった屠殺方法 (ハラールミート) でなければならない。
牛さんが吊られていた。


山羊さんがドナドナされて来て、その意味がわかるのか、悲しい声をあげていた。

屠るところを見たり写真を撮っても構わないと言ってくれたので見学させてもらったのだが、首から血抜きをした山羊さんの、切れ目を入れた足に少年が息を吹き込んでいた。すると、山羊さんが風船のように膨らんだのだが、皮がはがしやすいのだそう。
このハラールミートは、牛、羊、山羊、時としてラクダも屠られるが、鶏は各家庭などで行う。馬やロバは食べないとのこと。
衝撃的な光景ではあるが、スーパーマーケットにパーツになったお肉が綺麗にパックされて並んでいる物は買って食べるのに、その前の過程は見たくない、知りたくない、と言う人が多い。あくまでも私見だが、お肉を食べる以上は、その命をいただいているのだから、その現実から目を背けてはならないと思う。見たくはないがお肉は食べると言う人は偽善者だとも思える。見たくないと言うのなら、ヴェジタリアンかビーガンになってしかるべきかと。
ただ、宿六は、この仕事を子供が手伝うのは如何なものか?と言っていた、、、
南アでも、黒人の人達の地元で、結婚式やお葬式があると、牛を何頭、羊を何頭、つぶしてお料理をした、などと普通に会話に出て来る。屠る数が多い=客人の数がそれだけ多い、と言うことなので、ある種自慢話でもある。
パックのお肉しか知らない生活の方が先進国だと言う論理は違うかと思うのだが。。。

ドンゴラにあるヌビア式の入り口。
ワニの頭蓋骨が、まるで狛犬の
ように置かれている。
私が写真を撮っていると、自分の写真を撮ってくれと言って来た男性。写真のポーズはこれ。



ミドリハチクイ Little Green Bee-eater
Merops orientalis
ヤスガシラ Eurasian Hoopoe
Upupa epops
ハラールミートを作っているすぐそばでは、羊のマーケットが開かれていた。



大人の男性達は、ターバンを巻いていたり、帽子を被っていたり。朝は結構寒かったので、まるで頭部を怪我して包帯をグルグル巻いているような格好の人も多かった。
白い帽子はタギーヤ、ターバンはエンマと言い、目上の人 (イマーム) に会う時や祈りに行く時などは帽子ではなくターバンを巻く。白い長いワンピースのような上着の上に、黒いベストを着る場合もあり、それはピジャ。
伝統的な女性の場合(画像にはないが)、約7メートルの一枚の長い布で、全身と頭を覆うのだそう。
ドンゴラ
前夜タイヤがパンクした為、ドンゴラの町で新しいタイヤを購入。タイヤは一本2000スーダンポンド (約4600円)。ドンゴラの町には、軍や警察が大勢いる為、町の中では一切写真は撮るなと言われたので画像はない。
約80キロほど離れたオールド・ドンゴラに向かう道すがら、ラクダさん達が朽ちていた。


自然とミイラ化し砂になっていっている。

広大な砂・砂・砂・・・のところどころに、水甕が置かれている。

ラクダ商の人も、水甕のお陰で一息入れていた。

砂が家に押し寄せて来ている所も。


子供が、お母さんラクダのおっぱいを飲んでいた。
珍しく水のある場所だったのだが、干上がっている所には塩が浮いていた。
オールド・ドンゴラ遺跡 Old Dongola

イスラムの聖者廟と一般の人のお墓


聖者廟の中
近くには、5~8世紀に栄えたヌビアのキリスト教のマクリア王国の遺跡がある。

The Throne Hall と言われる教会は、9世紀に建てられたが、13世紀頃までには崩壊しており、1317年にイスラム教のモスクに造りかえられた。

まるで堅牢な要塞のような建物で、内部ではモザイクなどが見られるとのことだったのだが、クリスマス時期に行ってしまったので、あいにくポーランドから来ている考古学者達が帰国している為に内部保護で鍵が門番の人達では開けられず。

宮殿や人家跡も。
家々は、8世紀~13世紀まで続き、お手洗いや浴室も完備されていた。便座は陶器で出来ており、トイレットペーパーだったのでは?と思われる泥の塊まで出土している。

十字型教会
Cruciform Church
836年にバグダッドから戻って来たゲオルギオ王(ジョルジオ王)による。
ドームのある建物があったが、あいにく残っていない。

柱の上の飾り部分があちこちに落ちていたのだが、
いずれも十字架の模様が彫り込まれている。

この後、カリマ Karima 遺跡へ。その様子は<9>で。
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