泊まったホテルにテレビがあったので、久しぶりにテレビをつけてみると・・・

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CNNは映らなかったのだが、BBCのアラブ版?があり、何かの暴動の様子が報道されていた。全てアラビア語で報道され解説もアラビア後の為全くわからず。
ガイドさんやドライバーさんに聞いて、初めてここ数日のスーダンの動きが分かった。

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カリマの町で見かけたガソリンを 
求める長い長い長い車列・・・




全く知らなかったのだが、我々が発つ12月20日の前日19日に、パンが1年で4倍に値上げされ、ガソリン供給が滞っていて何日も長蛇の列で並ばなければならないことから、反政府運動の抗議デモが首都ハルツームのみならず各都市で発生し、この前日12月24日にもまた起こったとの報道だった。
あいにくスーダンで泊まった各ホテルは、首都以外は、テレビがあれば未だマシな方で、インターネットも全く繋がらない状態の所ばかりなので、詳しい情報は我々は得られず。この旅行を終えてスーダンを出てエチオピアのアジスアベバの空港でようやく事の重大さを知ったのだが、知らなかったから楽しく旅行出来たのかも💦


ジョベルアルバカル / ジョベル・バルカル Jebel Al Barkal / Jebel (Gebel) Barkal

前日には、この聖なる山に登ったり、アモン神殿やピラミッドを見たので、この日の朝は、まずムト神殿と博物館に。

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聖なる山の足元にムト神殿はある。












ムト Mut 神殿イメージ 3






手前の方の色はすでにはげ落ちてしまっていたが、奥の部屋は青がとても綺麗だった。








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エジプトのカルナック神殿などと同じ Taharqa 王のカルトゥーシュがあちこちに。










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色はあせているが、壁にびっしり
彫られている。










ジョベル・バルカル 博物館

旧石器時代(約30万年前~BC8500年)、中石器時代(BC8500年~BC5500/5000年)、新石器時代(BC5000年~BC3000年)と、スーダンには人が暮らしていた形跡があるが、この間に気象が大きく変化し、緑豊かな土地から砂漠へと変化していった。
旧石器時代には、木や骨などを利用した道具が使われた。中石器時代には北アフリカ全土の乾燥が進み、よりナイル川流域の肥沃な土地を求めるようになり、動物や魚を獲り木の実や果物を採取した。
新石器時代になると、動物を飼育し農業を始めた。このことにより、定住を始め、大規模な埋葬の土地を造ることとなる。

最初の発達した社会がエジプト第1王朝(BC3100年頃~BC2890年頃)の時代にヌビアに現れた。クシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、BC2600年頃に興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配した。最初の埋葬は地元の様式だったが、すぐにエジプトの宗教、イデオロギー、アムン神などのエジプトの神々の崇拝へと移行し、それはジュベル・バルカルで見てとれる。
BC8世紀半ばには、クシュ王国はエジプトに侵攻し、ハルツームから地中海までのナイル川沿いの谷を治めた。BC7世紀半ば、アッシリアの勢力によりエジプトから撤退したが、クシュ王国はスーダンでさらに1000年栄えた。
ジュベル・バルカルは、BC3世紀に王家の埋葬地がメロエに移されても、宗教の中心地であり続けた。
クシュ王国はエジプトと交流し、ファラオ制度、ヘレニズム文化、ローマ文化の影響を受けつつ、アフリカのルーツも持ち続け、紀元4世紀まで続いた。(詳しくは、wikipedia を  )

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中央にタハルカ王のカルトゥーシュ










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BC5世紀半ば ヌーリ遺跡の第11ピラミッドから出土したマルウィエバマニ Malewiebamani 王のへの献上物のテーブル
口に手を当てた4匹のヒヒ (バブーン) の像
イメージ 15BC7世紀初頭 Sanam のタハルカ神殿より出土


9~12世紀のキリスト教徒の棺 
遺体は自然にミイラ化していた 第4カタラクトより出土


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El Ghazali墓地から出土したギリシャ文字により墓石






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博物館の外には、ヘナの木が生えていた。




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カリマのマーケット近くのナイル川沿いにアサガオのような白い花が咲いていた。その実は、イガイガの棘でおおわれているのだが。
聞けば、これはスーダンの言葉で 「サクラン」 と言い、猛毒で、3日で死に至ってしまうのだとか。
しかし、近年、イタリア人がヘビの解毒剤として活用できると発見し、栽培されていた。







カリマ Karima マーケット を散策。

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一般の家の外装は、とても殺風景な家々なのだが、入り口の門だけはとにかく派手。
門屋さん?があった。









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左:
インドの会社が育ててオーストラリアに輸出する豆

中:
キドニービーンズ

右:
ファラフェル用のヒヨコマメ
(=チックピー、ガルバンゾー)





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香辛料などを轢く人は、マスクをして。

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スーダン料理に欠かせないタマネギが昨今は高騰しているとのこと。
3個で10スーダンポンド (約69円)
単なるタマネギ売りのおじいさんが居たのだが、驚いたことにとても綺麗な流暢な英語で話しかけて来た。
イギリス統治下の時の教育を受けた世代は、英語が堪能な人が多いと実感。


元気の良い野菜がいっぱい売っていたのだが、今は、農家をするよりも金鉱で働く方が高収入が得られとあって、農家の人が少なくなりつつあるのだそう。

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色々な種類のディーツ

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マーケットはこの線路を挟んだ両側にあるのだが、英国の植民地時代に造られた鉄道で、首都ハルツームから来ていた。






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魚屋さんを見に行ったところ、小さい魚を見せてくれた後、大きな魚を扱うお店に小さい魚のお店の人が連れて行ってくれた。


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さばき終えていたのだが、こんな魚も居るよと
フグのような魚を見せる為に、すでにカットした
尻尾などを再度つなげて全形を見せてくれた。






この後、ヌーリ遺跡を見学後、一路メロエへ行くはずだった。が、またまたアクシデントが。その様子は<12>で。