首都ハルツームで迎えたスーダン最後の朝。

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Tahini





国立スーダン考古学博物館 へ。

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まずメインの建物の手前にナイルを模した水があり、建物の外には、移築されたエジプト・スーダンの遺跡の5つが屋根で覆われて展示されている。



エジプトのアスワンハイダムを造るにあたり、エジプト側にあったアブシンベル神殿同様、スーダン側の遺跡も水没させない為に、各国の資金援助によって首都ハルツームの博物館に移築された。



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ブヘン神殿 Temple of Buhen


古代エジプトの天空神ホルスを祀る神殿。
1963年から1967年にかけて前庭の一部、前室、至聖所がイギリス・アメリカの資金援助で移築された。







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ブヘン神殿は、ナイル川西岸に位置し、中王国時代には東西約150メートル、南北約170メートルの城塞都市にあり、ハトシェプストとトトメス3世がホルス神に捧げた神殿。
塔門、前庭、前室、至聖所、3つの副室からなる。






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色彩も非常に良く残っていて、
ホルス神 (左側) なども良くわかる。










セムナ神殿 Temple of Semna

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ベルギーの資金援助による。
古代エジプトの神デドウェンとセンウセルト3世を祀る神殿で、トトメス3世が建立。
中王国時代に南北約 120メートル、東西約95メートルの要塞が築かれ、要塞内にはデドウェン神殿 (セムナ神殿のこと) やトトメス1世神殿などが造られた。
他に中王国と新王国の墓群、岩壁碑文等もあったが、それらは水没。




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西壁内側
左側がファラオのトトメス3世で、かつらを被り、ウラエウス(蛇形記章)を額につけ、リボンのような物を巻いている。右側のデドウェン神から加護を受けており、トトメス3世の左手はデドウェン神の胸の前にあり、そのひじをデドウェン神が左手でサポート。トトメス3世は右手でアンクを持っている。

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右はトトメス3世のカルトゥーシュ 
ネスウビト メン・ケペル・ラー 太陽神ラーの出現は永続する



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クンマ神殿 Temple of Kumma



古代エジプトの創造神クヌムを祀る神殿。
ナイル川東岸にあった。 トトメス2世が創建し、3世も造営を続け、アメンホテプ2世が大改修した。オランダの支援により移築。





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左側はファラオのアメンホテプ2世で、ネメスと言う古代エジプトの頭巾とウラエウス(蛇形記章)をつけ、高座に座るクヌム神の前に立ち、即位を受けている。両者の間には、絨毯の上に置かれた食べ物、飲み物、花などが置かれている。王は左手でお香が炊かれたカップを持ち、お神酒が入った酒器を右手で注いでいる。






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右側のアメンホテプ2世は、クヌム神の像に赤い甕から水を注いでいる様子。
彼の周りを4回周り、赤土 (砂漠) の甕の水で清めながら4度暗唱する。2度でクヌムと言う意味にもなるのだそう。






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博物館前には、何体ものライオンの狛犬風?が。
そのうちの一体は人を食べている???









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博物館の建物の外にあるこの2体は、ケルマから8キロ離れたタボ Tabo の遺跡で発見されたもの。いずれもひとつの花崗岩から掘られている。王様なのか神様なのかは不明だが、メロエ王朝のナタカマニ王の時代のもので、左足が一歩前に進むポーズは決して終わらないと言う意味がある。

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古代地図では、いかにナイル川の周りに遺跡が集中しているかがわかる。










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ジェベルバルカルのアムン神殿で発見された Senkamanisken 王のスフィンクス。花崗岩で出来ており、身体はライオンで、手は人間、頭には、ネメスと言うコブラと王冠を配したものを付けており、手には彼の名前を刻んだ壺を持っている。










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タヌタマニ Tanutamani 王の像
紀元前664年~656年
クシュ時代の像の特徴を良く表している。

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肩幅が広く、筋肉質で、足が長い。また、首周りには3つの羊の頭を象ったものを付けている。
足元や背中面のある柱には、「エジプトを支配したクシュの支配者、ナプタのアムンの寵愛を受けたタヌタマニ」 と。








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タハルカ Taharga王の像
紀元前690年~664年。
エジプトの第25王朝時代にスーダンを統治したうちのひとりで、息子とPiye王の3番目の後継者はスーダン人でありながらヌビアのファラオとなった。彼の統治時代には、パレスチナから青ナイル白ナイルまでと広大で、聖書のイザヤ書にも書かれている。
エジプトがヌビアの統治力を失っていた紀元前667年には、アッシリアとの何度もの戦いに勝った。
紀元前664年に亡くなり、ヌーリに埋葬された。彼のピラミッドは150フィート以上の高さをほこり、スーダンにおける一番大きなピラミッドである。

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アンラマニ Anlamani 王の花崗岩の像
ナパタンのクシュの王で、紀元前623年~593年。
ジュベルバルカルで1916年に発掘された。ほぼ完ぺきなクシュの王の像ではあるが、あえて10ほどの断片に破壊されて埋められていた。
ほぼ等身大。頭には双頭のコブラのクシュの冠、書類を左手に持っており、おそらく右手にも持っていたと思われる。
冠、ネックレス、キルト、サンダル、他の宝飾品が、石膏や金メッキなどで付けられていたと考えられている。
背後の柱には、彼の名前と肩書がヒエログリフで彫られていて、「(ジュベルバルカルを意味する) 聖なる山にいるナパタのアムン神に愛された人」 と。


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アムン神の花崗岩の像
ジュバルバルカルに居る神であるアムン神は、
頭部が羊で人間の身体を持つ。




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アンラマニ Anlamani 王の石棺
花崗岩で出来たアンラマニ王(紀元前623年~593年)の石棺で、ヌリのピラミッドから発掘された。すでに石棺内部の物は盗掘されていたが、おそらく遺体の入った木棺が納められていたと考えられている。


石棺のあらゆる表面のみならず、蓋の内側にも彫り込まれているので、鏡で蓋の内側を見ることが出来るようになっている。

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上階は、時代がくだってキリスト教やイスラム教が伝来してからのイコンやフレスコ画などが展示されていたが、撮影禁止だった。
この模型は、12世紀に造られたキリスト教のファラス教会 Faras cathedral で、色彩が鮮やかなフレスコ画もあったのだが、1964年のダム建築の為に水没したのだそう。



この日は金曜だったので、博物館も11時には閉まってしまうとのことで駆け足で見たのだが、訪れた所から出土したものもあったりし、面白かった。

この後は早い昼食を済ませ、オムドゥルマンに。その様子は<19>で。