7泊10日 (機中2泊) のスーダン旅行もいよいよ南アに戻るだけとなった。古代ではエジプトと同じ国だったこともあるなど、エジプト文化が非常に大きく影響していて、遺跡も多く見どころもたくさん。そしてエジプトのようにおびただしい数の観光客による混雑ぶりがないのも良かった。
しかし、今回の旅程では、ちょうど反政府デモが初めて勃発した12月19日の翌日 (20日) に南アを発った為、全くそのような事が起こっているとは露知らず。21日に首都ハルツームのホテルに泊まったが、翌朝からは遺跡のある田舎へと移動し、テレビやインターネットから離れていた為、全く詳しいことがわからず、ドライバーさんが街中での食事 (我々が目立つ外国人の為) や写真撮影にやたらと気を遣っていたと言った印象だった。

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ホテルからのレターには:

スーダンはイスラム教の国で、イスラムのシャリア法が施行されており、憲法には非イスラム教徒にまで適応されるとはなっていないが、シャリア法で裁かれると思っておいてほしい。

非イスラム教徒の女性は頭部を布で覆う必要はないが、常識のある服装で。
ホモセクシュアルや同性愛は違法で非常に厳しい罰則があり、ホテルの部屋に招くことも対象となる。スーダン社会は、同性愛に寛容ではない。
麻薬は非常に厳しい罰則対象となる。
全ての写真撮影は許可のもとに可能であり、政府の建物、軍関連、ガソリンスタンドなどを含む(知らなかった💦)公共施設、橋や空港などは写真厳禁。
多くの私服公安員が屋外やホテルの敷地にも居る。
(抜粋)


最初にスーダンに来て泊まったホテルと同じホテルに最後に泊まったのだが、到着した時、このレターは良くあるウェルカムレターかと、全く読まずに旅行に出てしまった。戻って来て初めて読んだのだが、ガソリンスタンドも写真厳禁だったとは💦💦💦

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12月27日の新聞

パンが2018年初頭から比べて3倍に値上がりし、ガソリンの供給もままならず、2~3日列で並ばないと買えない状況になったことから、抗議活動が暴動へと発展し、12月19日で当局発表は19名死亡と。




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12月21日にこのホテルに泊まった時は、Wi-Fi などもサクサク動き、Facebookやインスタも見られたのだが、戻って来た12月28日には、どちらもこの画像のように Wi-Fi には繋がっているものの、開けられず。
何か Wi-Fi に問題があるのかと思い、ホテルのフロントに言って技術者がチェックに来てくれたのだが、ハッキングされているので繋がらないとの弁。
まさかスーダン政府がシャットダウンしているとは想像もしていなかったので、ホテルマンのくせにハッキングだなんて嘘を言って・・・と思っていたのだが💦💦💦






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ハルツームの国際空港のラウンジ。
やはりここでも Wi-Fi は繋がるのに、Facebookやインスタは制限されている!!
ここで初めて、何かおかしい???と・・・


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ハルツーム ET347便 17:45発
アジスアベバ 20:35着










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ハルツームの夜景。ナイル川が良く見える。


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アジスアベバに到着。
ラウンジは混み混みだったのだが、Wi-Fi はサックサク。そして、勿論Facebookもインスタも問題なし。スーダンで何が起こっていたか、がようやくわかった。




エチオピアのビールと、国民食のインジェラを。






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コーヒーセレモニーで、エチオピアコーヒーを煎れてもらって。
横にあるのはコロと言う定番おつまみ。



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またまた快調な豪華なリムジンバスで
飛行機まで。



アジスアベバ ET859便 23:30発 
ヨハネスブルグ 翌日(12月29日) 03:55着






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エチオピア航空のCAさんは皆感じが良く、親切なのだが、いかんせんゆっくりモード。我々としては早く食べて早く寝たいのだが・・・

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ヨハネスブルグに到着。

バオバブを模したモニュメントなどがホリデーシーズンを盛り上げていた。







ヨハネスブルグ SA2043便 06:30発 ダーバン 07:40着

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ダーバンの空港の見慣れたホリデーオーナメントは、荷物をピックアップするターンテーブルにも配されていた。


中国に行った時もネットが自由に検索できずに不自由だったが、スーダンでは、1週間前に見られたものが見られなくなると言うのは何だかきな臭い。
自宅に帰ってやれやれ。何が起こっていたのだろう?と再度ネットを見てみると・・・

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我々がハルツームを発つ当日は金曜で、フライトまでの時間にオムドゥルマンに居たのだが、金曜礼拝でパンやガソリンの高騰に対して抗議をしようと呼びかけがあり、オムドゥルマンで礼拝後に大勢の人達が抗議活動を行い、警察当局と衝突していた。
モスクから出て来る信徒の人達を大勢見かけたが、飛行機の時間の関係で早々にその場を去ったものの、間一髪だったのかも。

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1月22日の報道では、スーダン内にいる海外のマスコミにアラビア語を取り締まる動きも。




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2月22日、スーダンのバシル大統領が非常事態宣言を発令。国の立法・司法・行政という統治権の一部または全部を軍に移管する戒厳令ほどではないものの、政府が特別法を発動する非常事態宣言。
この時点までで、少なくとも57名が死亡。

非常事態宣言の措置は、警察・軍隊など公務員の動員、公共財の徴発、法律に優位する政令の発布、令状によらない逮捕・家宅捜索などを許すことの他、報道や集会の自由など自由権の制限。(wikipedia による)






歴史的観光資源が豊富なスーダン。今後は30年以上続く現政府がどうなるのか良くわからないが、観光客が安心して旅行出来る国になってほしいものだ。