ターフハウス巡りの続き。
Glaumbær


内部を見学できるので入ってみた。Laufás で見た内部と(その時の様子は こちら)造りは良く似ている。石と土の壁の長い土間のような廊下を進むと各部屋に通じる。


小さなパントリーでは、ミルクから、アイスランド名物のヨーグルトである skyr やチーズなどが作られ、大きなパントリーでは、動物や魚を調理。内臓などを含むありとあらゆる部分を調理して長期保存し、調理用に馬油も貯蔵された。
10~14世紀にバスルーム(お手洗いと浴室の両方をさすのか良くわかりません💦)はリビングルームと区別されるようになり、15~17世紀には、(時には暖められて)仕事部屋や寝室となる。手前のベッドの上に乗っている右の物は、langspil と言うアイスランド伝統楽器で弓でバイオリンのように奏でる。その横にあるのはボードゲームで、1829年と記されている。Aはエース、Kはキング、Dはクイーン、Gはジャック、Tは10、Pはジョーカーのカード。
北側のパントリーでは料理などが行われていた。もともとは木製の食器だったが陶器に代わる。テーブル左にあるコーヒーミルは、1876~1890年まで住んでいた牧師の Jon Hallssonとその妻 Jonina が使っていたもの。ホットチョコレートを入れるポットがあるが、来客時とイースターとクリスマスに使用された。日用品などはお店で買っていたが、お店までは徒歩か馬に乗って、年に1~2度買出しに出ていた。




同じエリアに、他にも2つの古い家が移築され展示されている。
Gilsstofan

ÁSHÚS
1883~1886年に建てられ、1991年にここに移築された。この家を建てた夫婦 Ölafur Sigurðsson(1822~1908)と Sigurlaug Gunnarsdóttir(1828~1905) は当時としては進歩的で、夫人はアイスランドで初めて現代風の冠婚葬祭の慶事用の服を作ったり、最初のアイスランドの女性の研究所を創設したり、1877年に創設されたアイスランドで最初の女子学校2校の理事にもなった。
Bæjardyr á Reynistaður
この家は、1758年の火事の後に建てられたもので、多くの木材が装飾としてはめ込まれていて、1936~1940年に倒壊するまでほぼ原形をとどめており、入り口の部分だけはそのまま残っていた。1960年頃に移築されてコンクリートの屋根で補強され、ターフ(芝)なしの状態だった。1999年に国の歴史的建造物としてターフのある原型に戻された。

Sjávarborgarkirkja
Sjávarborg 教会は1853年に建てられた木製の教会。Sjávarborg にあるそれまでの教会は何世紀にも渡り全てターフ(芝)の建物だった。この教会は、現存するアイスランドで一番古い木造で塔のない教会。倉庫として使われていた後、1891年そして再度1983年に修復された。14世紀初頭の書物に既にこの教会の記載がある。

実はけっこう崖の上に建っていた。
Sauðárkrókur
この日はこの町のホテルに泊る。

非常に小さな町で、目抜き通りはアッと言う間に終わる💦


夕食をホテルでと思ったところ、朝食のみ提供する、町にレストランが2軒あるのでそちらで食べるようにと。我々のホテルの経営者がやっているレストランの方が良い感じだったのでそちらに。
まずはビール。Bolis の小と、Gull の大を。
本日の鮮魚はタラだったので、そのプレートを。
同じくタラのシチュー。以前にも食べているが、日本人が想像するシチューではなく、干したタラのほぐし身をジャガイモなども入ったベシャメルソースで和えてあり、スープ状ではないマッシュポテトのような物。
この日はお腹が減っていたので、フィッシュ&チップスも!
サーブしてくれたお姉さんが驚いていたが、ペロリとたいらげたのを見てニコニコしてくれた。
翌日は、スナイフェルスネース半島へ。その様子は追って。
コメント
コメント一覧 (4)
壺とかを使ったのかなあ
安土桃山時代に堺の商人が大名に茶道具として高く売りさばいたルソン壷 実は・・・だったとか
な~が nagacumatz
が
しました
最初の頃は木造の部分はあんまりなくて、ターフハウスが古くなって崩れてくると、放棄して近くに新しいのを造る、なんてこともあったかもしれないですね。
今残っている、大規模で綺麗に整備されたターフハウスは、やっぱり住み心地良さそうに見えてしまいます。
150年で10ヶ所お引っ越ししたお家、小さめとはいえ、すごいですね~。
火山国ですが、地震は少ないのでしょうか?
な~が nagacumatz
が
しました